ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

復学して1ヶ月。平成が終わるみたい。

ご無沙汰しております、ぴたぱん(@panda7penpen)です。

ブログってめんどくさいですよね、本読んで備忘録にするとかほざいてて、本は人並みに読んでいたのですが、ブログにすると適当なこと発信できなくて読み込まないといけなくなったり関連文献に当たらないといけなくなったり。コストが大きい形のブログは続きません。

 

 

復学して1ヶ月。平成31年4月29日午前2時。深夜テンションでブログを書きたくなる。

形なんか気にしない。閲覧数なんか気にしない。今イライラしている。思いつくままに文章を書く。あと1日で平成が終わる。GWで時間がある。この瞬間の思いを残したくなった。

 

 

【時間、イベント、ハレとケ】

何が天皇追いコンだ、何が令和歓迎飲み会だ、理由をつけて飲みたいだけじゃないか。

いかに「他人が作った、自分には納得できない規範・システムに従うこと」が嫌いか。時間は直線的なのだろうか。循環するのだろうか。ニーチェ永劫回帰論は妄言だと思う。彼は人生哲学における成功者ではない。発狂して死に至った者の、自分への慰めが彼の哲学だ。話が逸れた。地球の公転周期に合わせて1年が作られる。地球の自転周期に合わせて1日が、月の公転・自転周期に合わせて1ヶ月が設定される。これは納得できる。なんでキリスト生誕に合わせて生活してやらねばならない。彼はそもそも実在したのか。僕は無神論者だ。なんで1週間を7日で生活してやらねばならない。誰が神が7日で世界を創造したと想像した。指パッチン。ビッグバン。ID論。僕は無神論者だ。オッカムの剃刀で削ぎ落とせる。仮定する必要がない。ただそれは不存在の証明ではない。不可知。7日間が1週間。2日働いて2日休んで2日働いて2日休んで。今の発達した社会なら、みんなが食糧自動生産だけに全力を注いだなら、そのくらいで生存はできるんじゃないか。

数十年区切りにした方が時代の把握はしやすい。その意味で元号は有用な面もある。でも西暦〇〇年代でいいじゃないか。(なんならヒジュラ暦でもいい。)中国も朝鮮もベトナム元号はやめているのに。日本だけ。天皇制の存続が国家の存続。皇室への税金。内廷費3億2400万円皇族費2億6400万円宮廷費111億4900万円。宮内庁への税金。宮内庁費123億2700万円。僕は納得していない税金を払わねばならない。社会に出たくない。その金で僕を養ってほしい。右翼を黙らせる口止め料。GHQに嘆願して存続されたらしい天皇制。1945年の人々には国家の象徴が必要だったんだろう。今の日本は。今の若者の心の支えはアイドルではないのか。天皇の国事行為に慰められ感動して涙を流す20代30代が何人いるのか。これから税金を払うのは僕らだ。高1の時1ヶ月イートン校に短期留学していた。2013年7月。ちょうどその頃ジョージ王子が誕生した。日本ではイギリスは熱狂と報道されていた。騒いでいるイギリス人は、日本でいう国会議事堂前でデモする程度の規模。ほんの一部。みんなは平常運転。イートンの学生は、「貧しい人たちも大勢いるのに王室には多額の税金が使われている。僕は反対だ。」と(英語で)言っていた。イギリス人もそのくらい冷めている人もいる。国家の統治は国民の感情の統御だ。怨念を沈め熱気を士気をあげ生産させる戦争させる。神権政治でもやってればいい。卑弥呼様でも呼び出せばいい。大川隆法に降霊させてはどうだろうか。話が逸れた。

イベント。他人が決めたイベント。資本主義に作られたイベント。就活。バレンタイン。恵方巻き。理由なんかつけなくても祝日を作れないのか。山の日が作れるならなんでも作れるだろ。人と集まれる機会は自分で作る。みんなが一斉に出勤する。混雑。東京一極集中。出勤時間ずらせよ。みんなが一斉に仮装する。ハロウィン。新しい文化。文化は新しく生成される。100年後にはハロウィンは殺し合いのイベントになってるかもしれない。ポッキーの日がないとみんなで楽しめないのか。ハレにするかケにするかは自分たちで決めてはいけないのか。

 

【神と信仰、虚構、イデオロギー、コミュニティ】

「神は死んだ」ニーチェキリスト教が嫌いだったんだろう。彼は戦争の時代に生きていれば戦争を否定していただろうし、現代に生きていれば資本主義を民主主義を法治国家を否定していたかもしれない。ただの世界が嫌いなひねくれ者だ。僕と似ている。僕はニヒリストにはなりきれない。全ての価値を無に帰せない。ニーチェだってそう。彼は生を肯定し、堕落する人を批判した。それはイデオロギーではないのか。その価値軸には根拠があるのか。彼が死にたくなかった、自分を肯定したかっただけじゃないのか。僕の家では両親が左寄りだった。ニュースを見ては安倍政権批判。母親は上野千鶴子祝辞をべた褒めしていた。両親の元で18年間育った。僕も左翼だ。抜け出せない。無理に抜け出さなくていい。だから弁護士志望。

イデオロギーに入ってしまう人は宗教に入ってしまう。僕の同クラは生まれた時から幸福の科学。東大でどれだけ周りから幸福の科学を否定されても頑なだった。彼女は東大を辞めた。否定した側がイデオロギー持っていないはずないのに。多数派か少数派か。少数派は排斥される。世界では無宗教の方が少ない。無宗教だと言うと、倫理を守る根拠を持たないアナーキスト、テロリストと思われることもあるらしい。日本人だけ信仰に否定的なわけではない。日本人は大抵みんな敬虔な信者だ。社会規範。世間様。結婚しよう。根拠のない自分への自信。他者への依存。メディアの作る流行。東大生に多い信仰は、フェミニズムだったり、人権思想だったり、市場原理だったり。個人主義を善とする人が東大には圧倒的に多い。みんな自分のことしか考えていない。自分勝手。彼らは助け合わなくても自分で生きていける人たちだ。僕は彼らに比べれば全体主義者だ。全体の幸福の最大化のために自分が不利益を受けなければならないこともある。ナチズム。ニヒリストになりたい。中立な視点から世界を見たい。「彼って思想強いよね」敬虔な流行信者が言う。「どうして宗教ってなくならないんですかね」意識高い系の熱に染まった人が言う。大川隆法も、堀江貴文も、東大を出ながら、権威に夢にすがる人から金を巻き上げる道を選んだ。そのコミュニティの人たちは幸せそうだ、否定はしない。僕もそのくらいちょろくなりたい。

社会の要請にしたがって生きるのは敬虔な信徒のやることか。それともみんな社会契約に基づいているのか。分業しているのか。僕は納得していない。なぜ繁殖しないといけない。なぜ進歩しないといけない。なぜ結婚しないといけない。なぜ多数派に所属していないと排斥される。野生動物と変わっていないのか。なぜ熱気に飲まれる、流行に飲まれる、人に寄りかかる、信仰に流される。人は野生動物とロボットとどちらに近いのだろう。紛れもなくケモノだろう。

科学だって、前提を公理を疑っていけば、人文学も社会科学も信仰でしかない。多数派が納得する思想・主張。理系の人は嫌がるだろうが、自然科学だってデータの解釈に人間が関わればイデオロギーに左右される。

 

虚構。虚構。僕の好きなパリ第8大学社会心理学小坂井敏晶准教授。東大出版から「民族という虚構」「責任という虚構」「神の亡霊」などを出版している。自由意志なんて存在しない。人は周りに雰囲気に流される。意思決定より先に信号伝達は起こっている。自由意志があるから責任が発生するんじゃない。何が「故意責任の本質は規範に直面しながらもなお実行に移そうとする反規範的人格態度に対する道義的非難」だ。気持ち悪いお役所的定義。大衆の怨念を沈めるため、誰かを見せしめにして罰する必要があるから責任という虚構を作る。人類はコロッセオでの殺し合いを楽しんでいた頃から変わっていない。神の亡霊。今までしてきたような話。すべては虚構。みんな信じたい。同一性を信じたい。自分たちは仲間だと信じたい。彼らは敵だと信じたい。神は死んでない。

 

【語り得ぬものについては沈黙しなければならない】

このウィトゲンシュタインの言葉、不可知論について言っているわけではないらしい。真偽命題で表せるかどうか。不可知論。僕は難解なウィトゲンシュタインとかハイデガーとかの哲学については沈黙しなければならない。法学の文献で意味がわからなかったことはない。文系学問で一番難しいのは紛れもなく哲学だ。哲学科はもっと尊敬されるべき。前のブログでも書いたが、僕の言語性IQは上位0.3%らしい。標準偏差15でIQ141標準偏差24でIQ166だ。どの心療内科に行っても、東大生を多く診ている所に行っても驚かれる。診察結果が自慢になってしまう。もっとIQが高ければ神の存在を知覚できるのかもしれない。そういう意味では不可知論者だ。そういえば僕の診察結果は変わった。地元の病院では発達障害ではないとのことだったが、東京の発達障害パーソナリティ障害の権威に診てもらった所、軽度ASDADHD傾向だという。素人にはわからないほど、社会生活もなんとかやれるほど軽微だが、見る人が見れば表情等に特徴が診られるらしい。友人に、「君は診断が欲しかったんだよね」と言われた。間違いない。

ASDというのは、霊長類研究で言う所の「心の理論」が欠如した人たちだ。群の他の個体の考え感情を言語によらず読み取ろうと想像する能力。脳のタイプなのか神経の異常なのか。三つ組の障害。社会性・社会的コミュニケーション・社会的イマジネーション。自閉症スペクトラムの中でも高知能な者たちは、後天的な学習でカバーできるらしい。僕はコミュ強だと言われる。ただ少し正しさへのこだわりが強すぎたり、飲み会やクラブでも一人冷めきっていたり、ごっこ遊びができなかったりするだけだ。信仰に入れない。超越者のいない所に超越者の存在を措定するには心の理論が必要だ。ADHDは僕の場合多動はほぼない。ストレス環境下で少し癖が出る程度だ。注意欠陥の酷さは親しい人は知る所だ。感覚過敏がここ数年ひどい。ストレスが悪化すると騒音が無理になる。受けるストレスが多くなる。

語り得ぬものについては沈黙しなければならない。僕はイマジネーションの障害を抱えているらしい。僕は他の人の心の中について沈黙しなければならない。クオリア。僕の見ている赤色とあなたの見ている赤色は同じですか。暗闇のリンゴは赤色ですか。僕の見ている世界とあなたの見ている世界は同じですか。僕の見ている世界に神はいなくてもあなたの見ている世界に神はいるのでしょうか。僕は認識論には興味があまりない。哲学を専門に学んでいるわけではない。これ以上聞きかじり素人知識で哲学系用語を使うと哲学の人から殴られる。

 

【多数派と少数派】

少数派は排斥しよう。彼らは危険因子だ。動物の生存戦略。人間はどこまでケモノであろうとするのだろう。ロールズは無知のヴェールを被れば全ての人の被害損失が最小になるシステムを選択するはずだという。全体の生産量を最大化するための格差の肯定。現行システムへの後付け理論補強に熱心だ。僕は90%の確率で強者に生まれ10%弱者に生まれる場合にシステムを選択しろと言われたら、強者の利益を最大化できるシステムを選択する。昨日「キングダム」の実写映画を見た。戦乱の世。自然状態。女性は2人しか出てこない。筋肉。身体能力。剣術。自然状態。僕は法治国家に生まれている。一定数の女性は筋肉質な、危険から守ってくれる異性を選好するらしい。ホモ・サピエンスはケモノなのだろう。まだ法治国家になって日が浅い。少数派が権利を主張できるのは法治国家だからだ。人権なんて実在しない。奴隷に人権はなかった。平民の権利も女性の権利も闘争で獲得されたものだ。我々精神障害者は闘争できる気力がないから人権を獲得することはない。フリーライダー、落伍者、理解の及ばない異質な迷惑な人たちとして蔑まれ続けるのみ。力が必要だ。法治国家の前提は数の暴力だ。人々の怨念だ。奴隷道徳。筋肉をつける代わりに法律の素養を身につけろ。自分の身を守れ。法律の勉強をしろ。法廷以外の闘争は何も生まない。そういう風にできた。先人たちがそういう風にした。数百年後どうなっているかはわからない。僕は今の世に生きている。金と権力が身を守る術。筋肉と金がセックスアピール。根拠のない自信をみなぎらせた男が性欲ベースの優しさを発揮して拠り所のない女性を甘言で誘う。生存戦略。ヒトは所詮ケモノだ。

 

【自己愛、自尊心、依存】

健全な自己愛とは多数派が育んでいる自分に対する信仰だ。他人には社会規範で流行の価値軸で好悪をつけるくせに自分のことはなんだかんだ理由をつけて肯定する。みんな自分が好き。認知の歪みってなんだ。正しくない認知が正常な認知なのか。「あんな素晴らしい人と同じコミュニティにいるから自分は素晴らしい人間だ」「あんな人に比べたら自分は素晴らしい人間だ」「あの人が好きと言ってくれるから自分は素晴らしい人間だ」」「自分は頭がいいから素晴らしい人間だ」李徴の言う「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」臆病でない揺らぎのない自信を持っている人というのは、社会多数派の価値軸で高評価を得ているイケメン美女高収入か、そうでない人は皆自分への狂信者だ。正しくない認知。頭の良さを大事にする人はバカを貶す。美への努力を怠らない人は自己管理の甘い人を貶す。筋肉を大事にしている人は貧相なやつを貶す。成長を大事にする人は堕落を貶す。貶す。貶す。自慰行為。示威行為。マウンティング。みんな、自尊心に根拠がないから必死だ。闘争だ。生きることは自尊心を保つことだ。他人をけなせ。闘争だ。戦争だ。勝てば官軍。自尊心を保ったものが善だ。声の大きいものが勝つ。いつまで宗教戦争をしているのだろう。

依存先を増やすことが自立だと人は言う。家族へ、恋人へ、親友へ、先輩へ。自分のスペックに寄りかかれないなら、他人に承認してもらって自尊感情を保つしかない。嫌いなとこもいっぱいあるけど私はあなたが好きだよ。出会った頃の熱は冷めたけど長い時間をあなたにかけたコストを肯定したいから、子供がいるから、私はあなたが好きだよ。あなたは私のことを愛してくれるから私はあなたのことが好きだよ。共依存。何が、「お互いに一人でもやっていける男女が、一緒にいると楽しいことが増えるから一緒にいる」だ。一人でやっていけるってなんだ。寂しさに襲われる夜はないのか。自分への狂信者なのか。僕にはそんな人の気持ちはわからない。語り得ぬもの。

 

【自殺論と東大法学部】

僕はデュルケムを休学中読めなかった。利己的自殺。自己本位的自殺。社会凝集性が低いと自殺は増える。東大法学部。友人が一人死んだ。その話を聞いた別の友人は、「東大法学部のシステムの欠陥だよ。」違う。あそこを砂漠にしているのは法学部生の忙しさだ。個人主義だ。助け合うより自分一人でやる方がパフォーマンスが高い人たち。僕たちの忙しさは彼を殺した。東大法学部にはサークルが2つしかない。ゼミはコミュニティになり得ない。2つのサークルに適合できないものには居場所がない。大半がぼっち受講。ぼっち受講が数百人。闘争しろ。上位3割の優を取れ。GPAはいくつだ。生き残れ。レールから外れるな。初対面の法学部生に会うと進路と成績を聞かれる。「彼は全部優でめちゃめちゃ優秀なんですよ(そんな彼と仲良くしている自分も偉い人間なんですよ)」予備試験に受かれ。ゴールドマンサックスの内定を取れ。教養区分で受かれ。財務省経産省に外務省にいけ。法務省は落ちこぼれの行くところ。うるせえ。更生保護は法務省でしかやってねえ。僕は法務省インターンにいく。

 

 

 

僕はレールから外れた。来年も4年生。1年ぶりに会った人たちは一瞬声をかけてくれる。「おお!久しぶり!珍しい!」一拍おいてタスクに就活に司法試験に戻る。そんなところだ。彼らは走り続ける。僕は徒歩で行こうかな。両親が健康なうちに経済的自立を果たせればそれでいい。

 

 

追記:何点か訂正や補足があるので

pitapanbibouroku.hatenablog.com

 

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