ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

感情に身を委ねるという娯楽

「あんた国語できる癖になんでそんな人の気持ち分からないの!」

昔高校卒業後距離を取るようになった友人からぶつけられた言葉だ

 

正直、感情の起伏が小さい人間だし、他人の感情というものが人と比較してよくわかっていないように思う 感情に対して言語で説明を与えようとする姿勢からそもそも間違っているのかもしれない 国語ができる人間なので言語化すれば理解できた気になれる

 

Twitterを見ていると、言語という形で感情の奔流が押し寄せてくる 新型コロナウイルスに、凄惨な事件に、不安になる 政治家に、世の理不尽に、対立する思想に、怒りを覚える 世渡りの上手い人に、恵まれている人に、嫉妬してしまう 性的なものに、熱い試合に、興奮する 生きづらさに、病気に、苦しい 

インスタや顔本に喜怒哀楽の喜と楽を吸われてしまうから、どうしてもtwitterは怒と哀の奔流になってしまう

 

アクタージュという漫画を買ったが、感情に関する分析的な言及が多い。

「悲しみと怒りってちょっと似てない?(中略)人生で一番悲しかった日のこと 案外そのときが人生で一番怒った時ってやつだったりしない?」

「やれあいつが気に入らねぇ仕事が気に入らねぇ政治が気に入らねぇ(中略)学校じゃ順番みたいにイジメの対象が移り変わり(中略)ネットを開けば他人への悪意で埋め尽くされている(中略)怒り続けることで自意識を保ちもはやそれが手前のアイデンティティになっている」

 

近頃、よく思う 感情は副次的な随伴的な、自分や他人の言動、出来事で自然と出てくる結果としてのものというだけでなくて、僕ら人間は感情を垂れ流しそこに身を委ねることを目的として動いていることが多々あるのではないか、と

泣いてスッキリしたいから映画を見る、笑ってストレス解消したいからお笑いを見る、恐怖で非日常を感じたいからホラーを見る、この辺りはよく聞く「感情を動かすことを目的とした行動」だ

でも、もっともっとそういうことって多いのではないかと 感情の発露を娯楽にコンテンツに、人生の起伏にしている人って実はすごく多いのではないかと 恋愛や闘争、エログロと同じくらい、激しい感情というものに人は惹かれ焦がれているのではないかと

自己憐憫に浸りたいから病みツイ連投してみる  世の不正に怒りたいからニュースで怒れるネタを探す 悲しみ胸を痛めたいから可哀想なニュースや人を見つけて涙を流す

喜や楽といったプラスの感情を娯楽にしているのは言うまでもないけれど、マイナスの感情までも僕らは娯楽にしているのではないだろうか

 

映画でもアニメでも、「感動もの」は最も多くの支持層を得られるジャンルだし、「キャラクターに主人公に感情移入できるか」が作品を論評する上でよく語られているのを目にする

youtuberはリアクションが大きい人が伸びるし、わざと発狂芸キレ芸なんてする人もいる 海外にはリアクションするだけの動画なんかが溢れている

感情の起伏が小さい上に自身の感情を動かすことをあまり求めていない僕にはこれがよくわからない 映画やアニメなどの作品であれば独創的で作り込まれた世界観・設定や張り巡らされた伏線と謎とその鮮やかな回収といった点を最重要視するオタクだ 主人公なんて俯瞰視点で見てるので自己投影も感情移入もしない(好き嫌いはあるが) ワンピースのような登場人物の過去を掘って感情移入させて大声で叫んで笑って怒って泣いてさせる作品より、ワールドトリガーのような表情に乏しい作画で全員が淡々と合理的に行動している作品の方が見やすいなと思ってしまう テレビやyoutubeのバラエティでも、リアクションの大きい人にはわざとらしさを感じたり「うるさいな」と疎ましく思ったりする

 

自分は今までの人生そんな調子でやってきたし、今から普通の人にはなれないと思う でも普通の人を理解したい もう少し、感情という最も人間らしいものの魅力に力に気付いていきたい