ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

GWなのでなんの動物の肉まで食べられるか考えています

※注意:この記事には動物への愛情が深い方にはショッキングな描写が含まれる可能性があります。閲覧は自己責任でお願いいたします。読者の方が気分を害された場合、責任を負いかねますので御注意ください。

 

2年ほど前に見たこんなツイートをさっき思い出した(おぼろげな記憶を頼りにtwitterの海から20分ほどかけて掘り返した)

 

この記事を開いた読者の方も是非考えてみてほしい。

 

ウマ娘なるアニメとアプリが流行っている

その関係で、昔から度々聞いていた「競馬好きや馬主に馬肉や馬刺し云々の話はNG」なる界隈ルールのようなものがあるのに昨日久々に触れた(それでキレている人をネット上で多数目撃した) モヤっとした

馬刺しを愛する一介の熊本県民である自分にとって馬は乗るものでも走るのを見るものでも愛でるものでもなく食べるものだもの 大勢にとっての牛や豚や鶏がそうであるように

その関連で「水族館で『この魚美味そうだな』と言っている人がいたら頭おかしいのかと思うだろ」みたいなコメントも見た もっとモヤっとした 

 

ほとんどの人が、それこそ小学生の道徳で屠殺なんかを扱った頃から、動物を食べることって何だろうみたいなことは考えたことがあると思う

生命倫理の議論が好きな人なら、中学生くらいの頃に「動物実験でマウスとか殺すのって許されるのか?」「ペットとか動物園って人間のエゴじゃないのか?」「菜食主義って無駄じゃないのか?」「捕鯨にキレてる人たちってなんなんだ?」みたいななんの飯の足しにもならないようなことを考えたことがあるかもしれない

残念ながら私は小中学生でそういったことを考えるのをやめることなく一生考え続けるタイプの人間である 少なくとも23の現在まだ"そういうの”を卒業していない

 

 

ところで先ほどのツイートの食べても倫理的に許される順番は決まっただろうか。(ちなみにツイート主はここに「人語を解するカニ」も加えたかったらしい)

 

 

当該ツイートへの引用RTでついているコメントでは胎児や宇宙人、デザイナーベイビー、子猫などが後の方に、つまり「食べても許されない」ものとして置いている人が多いようだった(詳しくは読者の方が自分でツイートから飛んでコメントを確認してほしい 色々な意見がある)

許されなさ、倫理、アニマルライツはどこに発生するのか、何に依存するのかの代表的な論点がこのツイートには含まれている

 

つまり

・人と近ければ食べることが許されないのか

・知能が高ければ食べることが許されないのか

・日本法では人権のない(堕ろすなどしても罪に問われない)胎児はどうなのか

・人であるかどうかは遺伝子によって規定されるのか

・動物愛護や動物の権利は愛玩と強く結びつくのか、犬猫を食べることは家畜を食べることよりも悪なのか

・倫理の逸脱とは、外形的、習慣的なものからの逸脱なのか 明確な基準があって逸脱を決定されるものなのか

などの点である

 

個人的には、

・痛覚のない動物を殺すのは許されるのか

・反復継続的、社会慣習的に食べると許されるのか

などの点も含んだ選択肢も作って欲しかった 

以前クラゲに電極ぶっさす実験についての記事に「可哀想」という意見がついてるのを見て「クラゲに脳も痛覚もないけど、この『可哀想』っていうのは愛玩からくる感情なのか?動物の権利は人間の愛玩感情から発生するのか?」なんて思ったことがある(口に出すとヤバイ人だと思われるから人前では言わないが)

菜食主義についての議論でよく聞かれる「動物を食べるのはだめだが植物を食べるのは許される」理由としてしばしば挙げられるのが知能、とりわけ痛覚の有無だ 苦痛を与えるのは悪 苦痛を与えずに命を奪うのは許されるという倫理観だ

前述の小学校の屠殺の道徳の授業でも、「苦痛を与えずに済むように銃で一発で殺します」と説明されて幼心に「は?」と思った記憶がある 

そんなことを言われると、「全身麻酔で感覚も意識もない牛や豚なら食べるのを許されるのか?」なんて思ってしまう  動物が受ける苦痛の問題ではなくて人間が受ける良心の呵責や共感性からくる人間自身の苦痛を減らしたいのではないのか

 

誤解を受けないように言っておくと私個人は、人間は食のみならずあらゆる面で人間中心主義的に他の生物に関わっているため、今更他の動物の権利の保護などいうのは矛盾でしかない、アニマルライツは認めない 権利がないのだから動物を食べることも動物実験も悪になり得ない という立場だ

ただ、ドキュメンタリーなどで猿やペットの犬が食用にされている海外の映像を見るとそれなりにショックを受ける それくらいの人の心はある

しかし一方で、牛や豚が食用にされても心はさほど痛まない 反復継続的・社会慣習的に行われていれば猿が食用にされていても心は痛まないのかもしれない 人間の倫理や心なんてそんなあやふやなものだ

 

最初のツイートに挙げられているものを私が並べるなら、(ここでは私個人が許すかどうかではなく社会的に許されるかどうかという問いだと解釈している)

許される順に

①ヒト遺伝子が組み込まれた豚②ヒト細胞でできた培養肉③知能を低下させたイルカ④人語を解するサル⑤子猫⑥対話可能な宇宙人⑦デザイナーベイビー⑧胎児

となる。(人語を解するカニを含めるなら①と②の間)

理由は、生命倫理において重要なのは遺伝情報などの本質的なヒトとの近さではなく、従来の社会慣習からどれだけ逸脱しているか、外形的にどれだけ普段食用のものと近いか、だと考えるからだ

 

個人的には全部食いたくない

 

 

結局、このツイートに対する反応ですら分かれているように、生命倫理の議論やディスカッションが紛糾するように、合意が取れにくい分野なのだ

これはよくてこれはダメというラインの個人差が大きすぎて合意が形成できない

おそらく生命倫理は大いに個人の動物に対する愛着に影響される

馬が好きなら馬が食肉にされる話は気分を害するし、クラゲが好きならクラゲが電極ぶっ刺されてれば可哀想に思うのだ ゴキブリが好きな人はゴキブリが軽卒に潰されて心を痛めているかもしれない 細菌が好きな人は日々無数に殺されていく菌に心を痛めているのだろうか

犬猫が美味しければ犬猫を食べるという人だっている

人間の肉がもし信じられないほど美味だったなら、世界は、倫理は、どうなっていただろうか