ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

イデオロギーを整理しよう

 

イデオロギーの概観

日本においては政党や政策、立候補者についてイデオロギーを意識して投票している有権者ははさほど多くないのかもしれません。世論調査をみてみると政権担当能力や景気回復ができる政党かどうかが重視されていて、憲法問題や家族制度等イデオロギーにまつわる論点は二の次三の次のようです。

現代はもはやイデオロギー対立の時代ではないとはよく言われますが、それでも個々の主張をみていると、(伝統的な保革対立とは形を変えているものの)、イデオロギーや党派性に依拠した主張をしている人は多くいます。
私としては、現代においてもイデオロギーに位置付けて個人の主張を理解することは有用であると考えています。

 

以下、現代政治理論の講義で示されたスライドから引用します(講義内でも出典が示されずスライドに画像が貼られたので出典がわかりません)

図1:三次元的に捉えた図

図2:政治-経済の2軸で捉えた図

図3:政治-文化の2軸で捉えた図

一般によく知られるポリティカルコンパスは政治-経済の2軸で示されることが多いですが、文化的統制の軸を足したり、「既成政治志向-ポピュリズム志向」という軸を足したりなどして分析されることもあるようです。

政治家個人や日銀幹部などについては「タカ派/ハト派=強硬派/穏健派」という軸もよく用いられます。

最近だと、「積極財政/緊縮財政」なんて軸を足している人もみますが、経済的統制を強くするか弱くするかと対応するのではないかと個人的には考えています

図4:ポピュリズム-政治の2軸 (出典:水島治郎(2018)「二〇一七年のヨーロッパを振り返って」佐々木毅(編)『民主政とポピュリズム筑摩書房

以下、政治-経済の2軸での分類について不慣れな方向けに簡単に説明します。(慣れている方は飛ばしてください)

政治的統制が強い、というのがいわゆる「政治的保守」「右」

政治的統制が弱い、というのがいわゆる「政治的リベラル」「左」

経済的統制が強い、というのがいわゆる「経済的左派」「大きな政府

経済的統制が弱い、というのがいわゆる「経済的右派」「小さな政府」

に対応するものです。


①「政治的統制強-経済的統制弱」(伝統保守)(図2の右上象限)

政治的には伝統・全体を重視し、経済的には小さな政府を志向するもの。

政治的には全体のために個人の権利を制限することが比較的多いが、経済的には国家の介入を減らし市場原理に任せる、という立場です。いわゆる「現実主義」の人が多いか。

レーガンやブッシュ(子)などアメリカの共和党保守層などがあてはまるか。

(日本の話をすると、日本の政党は国内で相対的に「経済的統制が弱い」にあてはまる政党・派閥も国際的にみたら経済的に真ん中か少し左寄りまであることが多いらしいのでよくわかりません)

政策や主張としては、「伝統的宗教や伝統的家族の維持」「反移民」「規制緩和格差是正より経済成長」を目指すことが多いです。

 

②「政治的統制弱-経済的統制弱」(リバタリアニズム)(図2の右下象限)

政治的には改革・個人を重視し、経済的には小さな政府を志向するもの。

政治的にも経済的にも一貫して個人に政府・国家が介入するのを嫌うもの。経済的にはネオリベと言われることもあります。

2016年アメリカ大統領選で第三党になったリバタリアン党などがあてはまります。

日本のネットで若者から支持のある堀江貴文や成田悠輔はこの立ち位置ではないかと言われることが多いようです。
多くの国の右派左派政党が①や③に近くなることが多いので、この立場の人は既存政党のほとんどに批判的になることが多いです。

政策や主張としては「規制緩和、民営化」「格差是正より経済成長」「同性婚などへの国家からの規制も認めない」となることが多いです。

 

③「政治的統制弱-経済的統制強」(リベラリズム社会民主主義)(図2の左下象限)

政治的には改革・個人を重視し、経済的には大きな政府を志向するもの。

個人の権利や弱者保護を掲げ、政治的には伝統からの改革を目指しつつ、経済的には再分配により弱者に対する社会保障を手厚くしようとする立場。いわゆる「理想主義」の人が多いか。

オバマに代表されるようなアメリカの民主党やヨーロッパに多い社会民主主義政党が当てはまります。(日本の立憲民主党社民党は減税って言ったりするのでよくわかりません)

政策や主張としては「性的少数者の権利を認める」「経済成長より格差是正」「高福祉高負担」「移民受け入れ」となることが多いです。

 

④「政治的統制強-経済的統制強」(社会主義)(図2の左上象限)

政治的には全体・伝統を重視し、経済的にも国家の介入を強く行なっていく立場です。いわゆる「プロレタリアート独裁」と言われるような、ソ連などをイメージしてもらえるといいかと。労働者政党や社会主義政党共産主義政党が多く当てはまるでしょうか。

格差を生む資本主義経済を批判し、国家が経済に強く介入することで格差是正と平等を実現しようとするものです。

 

池本大輔教授などによれば、①(伝統保守)には自営業者などのプチブルジョワジーが、②(リバタリアン)には大企業経営者など経済・金融エリートが、③(リベラリズム)には大学教員や福祉・教育に携わる公務員などの文化的エリートが、④(社会主義)には労働者階級がそれぞれ当てはまることが多いと整理しています。(さらに、右派ポピュリズム政党の支持者の多くは上記自営業者層であるともしています)

本記事の読者の方はどの領域にあてはまるでしょうか。

 

(補論)ポピュリズム

2016〜18年ごろ、アメリカ大統領選でトランプが当選し、イギリスでEUからの離脱(ブレグジット)が国民投票で決まり、「ポピュリズムの台頭」ということがさかんに言われていました。アメリカイギリスのみならず、フランスやイタリア、ドイツや日本でも「ポピュリズム勢力の台頭」という話が言われていました。

この「ポピュリズム」はさまざまな定義がありますが、「反エリート」「反移民」「反グローバリズム」あたりに特徴づけられます。

大衆迎合主義」とも訳されるポピュリズムは、大衆に向けてセンセーショナルな「移民排斥」「バラマキ/減税」などのキャッチコピーを掲げ、従来のエリート政治からの離脱を目指し大衆の支持を獲得する政党や政治家を指して使われます。

昨今は政治家がインターネットで過激な発信をしてプレビューを稼ぎ知名度をあげたり、メディアで盛んに対抗相手をこきおろすような選挙番組がなされたりするのもポピュリズムの後押しになったと言われます。

日本でも、希望の党や維新の会が「右派ポピュリズム政党である」との指摘を当時されていました。

2020年アメリカ大統領選でトランプが落選したあたりからはあまり聞かなくなりましたが、揺り戻しがきたのでしょうか。それとも、インターネットの進展などを背景として今後もポピュリズムの台頭は続くのでしょうか。ポピュリズムは本当に「望ましくないこと」なのでしょうか。今後も注目していきたいです。

 

現代日本の左右対立

自民党立憲民主党が①や③に綺麗に当てはまらないため、上記の分類で考えるのは難しいですが、日本でいう右派/左派は基本的に政治的な保守/リベラルに対応します。(経済的には自民党含め多くの政党が分配を多くする傾向にあります)(議論を単純化するため、ここでは経済的な議論には踏み込みません)

○右派

ナショナリズムや軍事的・経済的なリアリズムに特徴づけられる。

「伝統的家族の維持」「天皇制維持(男系維持)」「中韓への強硬姿勢」「軍事的な抑止・対処能力の保有」「原発再稼働」「外国人への生活保護反対」などが多いか。

産経新聞や読売新聞の論調が近い。

 

○左派

リベラリズムフェミニズムなど個人の権利保護、理想主義に特徴づけられる。

性的少数者の保護」「選択的夫婦別姓の導入」「原発廃止」「天皇制廃止」「9条改憲反対」「死刑制度廃止」「外国人の権利保護」などが多いか。

朝日新聞毎日新聞の論調が近い。

 

しかしながら上記の分類は伝統的なもので、現代の60代以上には典型的にあてはまる人も多いですが、我々のような若者世代だとなかなか典型的に当てはまる人は多くない気がしています。

右派を自認しながらも、家族制度については昨今の潮流から同性婚を認めた方がいいとする若者や、左派を自認しながらも昨今の軍事的緊張の高まりから軍事的な抑止・対処能力の保持に積極的な若者が最近増えているようです。

以下は、日本政治の講義のスライドからの引用です。

図5:有権者保革イデオロギー分布の推移

図6:自民党民主党政権担当能力を認める割合の推移

図7:若年層のイデオロギー推定値の推移

図5からは中道が多かったのが分極化が進んでいる様子が、図6では民主党政権が倒れた後日本の野党第一党政権担当能力が認められなくなった様子が、図7からはいわゆる「若年層の右傾化」が読み取れます。

先ほども述べた通り、「若年層が右傾化している」というよりは、「従来の左右パッケージに当てはまらない若年層が増えている」と言った方がいいのではと個人的には思っています。

インターネットの左右対立

エコーチェンバー的に自分に近い主張ばかりが流れてくるインターネット言論空間ではイデオロギー的な分極化が進んでいるとよく言われます。

議論が下手で知的にどうしようもないような左派・フェミニストを叩いて気持ち良くなっている「保守」、前時代的でどうしようもないような保守を懸命に叩く「リベラル」、どちらも相手の立場の下の人たちばかり見て叩いて、仲間もそれを叩いているのをみて、仲間のコメントやツイートにいいねが多いのをみて、自分の正当性を確認して安心する、というようなことばかりやっているような気が個人的にはします。

政治言論を頭の体操と自己陶酔のための娯楽と考えるならばそれでいい気もしますが。

 

 

私個人の思想の整理

18歳ごろまでの親元にいたころは左派の両親の影響が強く、いわゆるリベラルであったといえます。

上京して一人暮らしを始めた18〜20歳ごろはニヒリズムに傾倒して、右派左派問わず信仰全般に対しての反発が強くなりました。

現在では、それらの影響を残しながらも、中道寄りのリバタリアン、が一言で言うと近いでしょうか。

 

自分の思想の軸を簡潔に表すならば、「自由主義」「反信仰」「合理主義」あたりです。

ポストモダン言論であるような近代合理主義批判と同様の批判が向けられることは承知しています。しかし、市民レベルでの伝統文化や宗教による紐帯の役割は認めながらも、集団が細分化多元化している現代において国の法や制度は非合理な伝統や信仰を排して設計されていなければ納得できない質です。

 

ここでいう「信仰」とは儒教神道のようないわゆる「宗教」はもちろん、「死んだら人は丁重に埋葬されるべき」のような宗教観、自然権思想のような合理性から基礎付けにくい前提や公理、「この人の言うことに従えば成功できる」のような盲目的な帰依や「この人の言うことだから正しい」というような権威主義など、かなり広くを指している概念です。

 

「反信仰」といってもそれら信仰を否定するものではなく、それら信仰が国家の法や制度に組み込まれることに反対しているだけです。自由主義の帰結として信仰の自由はもちろん重要だと考えています。

 

「反信仰」については当ブログの過去記事に詳しいです(当時身内から評判が良かった記事)

pitapanbibouroku.hatenablog.com

 

この「反信仰」の帰結として、(現実的でない・コンセンサスを得られないことは承知しながらも)

・日本家族法は全て解体して相続も財産分与も親権も個人間の契約でやった方がいい

・皇室を公金で支えるのをやめて法人化などした方がいい

死体遺棄罪など宗教感情を保護法益とする刑法は保護法益を変更したり、死体隠匿罪などに改正した方がいい

少数民族の伝統文化保護などを公金で行うのをやめた方がいい

日本国憲法の人権は天賦人権論による不可侵のものとするのをやめて、キリスト教的な自然権からではなく契約や合理性から基礎付けるべきである

など極端なことを思っていたりします。(大声で主張するとヤバい人だと思われるのであまり表立っては言いませんが)

 

最近では、自分はリベラルかリバタリアンかというとリバタリアンの方に近いのではと思うことも多いです。経済的弱者への社会保障が必要だと思うのと同時に、高所得者が給料の大部分を税金でとられることを嘆く気持ちもわかる。高い累進課税が原因で国際競争力を高める人材や企業が海外に流出しては日本は先細りするばかりじゃないか、パイを拡大しないと社会保障の財源もないじゃないか、と思ったりします。

 

自分がリバタリアン寄りの主張をするのは、個人の所有権をスタートとしているというよりは、公金の支出において「可能な限り多くの国民の合意」を重視しているからです。右派信仰的な皇室の維持にも、左派信仰的な少数民族文化の保護にも、大多数の国民の生活に直接的な実利をもたらさないために公金を支出して支えるべきものではないと考えています。

 

ただ、全体や予算や義務のことを考えず権利主張する人に共感できなくなったりと、ここ数年でかなり自分が保守化しているのも感じます。法学を学んだ影響でしょうか。個人より国家や全体のことを考える機会が増えました。

「国家・社会のために個人があるのではなく個人のために国家・社会がある」には共感するとともに、「権利は社会の中で義務に対応して付与されるものであり、無条件に認められるものではない」とも思っています。

 

こういったニヒリズム自然権思想の否定はナチズムにつながるものであったとして歴史的経緯から廃れたものですが、ナチズムはニヒリズム自然権思想の否定が全体主義共同体主義と結びついたものであり、ニヒリズム自然権思想の否定が自由主義と両立している限りナチズムにつながるものではないと考えています。

(「自然権思想を否定するのに自由を主張するの?」という話は長くなるので割愛します)

 

 

社会保障の必要性を感じながら、高い累進課税にも問題を感じる。

個人の自由を重んじながらも、全体のことを考えず身勝手な人への反発も人一倍強い。

私の立ち位置を図1の三次元的な空間に置くならば、政治軸、経済軸では「ここ」と同定することは難しいですが、文化的な統制に関しては限りなく弱い、図1の立方体の一番手前の面のどこか真ん中よりのところ、としか現時点では言えません。

 

 

自分語りが長くなってしまいましたが、本記事を最後まで読んでくださりありがとうございました。法学部の1・2年生が習うような政治イデオロギーの基礎的な部分について詳しく書いてみた記事です。この機会に読者の方も自分の思想を見つめ直して整理してみてはいかがでしょうか。