最初の記事、何の作品の備忘録を書こうか。迷った時にふと手に取ったのは、机の横にいつも置いてあるこの本だった。
この本との出会いは11歳の時。姉が中学の読書感想文を書くために買って来た。姉は読書感想文を書いたっきり読んでいなかったが、私が惚れ込み、自分の本棚に移し、大学入学時に上京する際にも持っていき、今休学して地元に戻るときもこうして持って帰って来た。
いつだって、読むと穏やかな気持ちになれる。
村内先生は、中学の非常勤講師。国語の先生なのに、言葉がつっかえてうまく話せない。でも先生には、授業よりももっと、大事な仕事があるんだ。いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、気持ちを伝えられずに抱え込む生徒、家庭を知らずに育った 生徒ーーー後悔、責任、そして希望。ひとりぼっちの心にそっと寄り添い、本当にたいせつなことは何かを教えてくれる物語。 (裏表紙より)
この本は、表題作「青い鳥」を含む8つの物語を収録した短編集である。各物語には、吃音もちの非常勤国語講師である村内先生と、”ひとりぼっち”が一人ずつ登場する。
正直、ここまで読んで、「うげえ、道徳の授業とかでやるような説教くさい本だ」と思った方もいるかもしれない。一面では当たっている。
確かにこの本では自殺や場面緘黙症、交通事故やいじめ、教師をナイフで刺す事件、等シリアスな話題が 扱われている。
ただ一つ誤解しないで欲しいのは、村内先生は、生徒たちに「寄り添う」だけの存在だということだ。説教臭く何かを諭すようなことはない。ただ、「ひとりぼっち」たちに寄り添い、そっと導き、本人たちの苦悩と決断を見守り、そっと背中を押す存在だ。
国語の教師であるのに、授業に支障が出るレベルで吃音が激しく、そのため生徒からも影で馬鹿にされている村内先生に対して、生徒が尋ねる場面がある。
「先生・・・・・・なんで先生になったんですか?」
(中略)
少し考えてから、先生は言った。
「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいた方がいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから。」
ーーーーーp44より
重松を知らない方のために断っておくと、ハンデを持った人物を主人公にしてお涙頂戴の作品にしようと思っているわけではない。重松自身が吃音持ちであり、「きよしこ」という作品でも重松は主人公を吃音を背負った人物にしている。
あとがきで重松は、村内先生のことを「ヒーロー」だと語っている。
派手に敵を打ち倒すようなかっこいい「ヒーロー」とはまた違った「ヒーロー」の形。
冴えないおっさんで、激しくどもっていて、それでも、生徒に一生懸命、優しく寄り添う村内先生。そんなヒーローと、子供の頃出会いたかったという。
この作品の魅力は、村内先生だけではない。各短編の語り手となる”ひとりぼっち”たち。それぞれに、人に言えない思いを抱え、反抗し、苦悩し、そして変わっていく。中学生ならではの純粋さと単純さが、大人になった僕には今では眩しく感じるほどだ。
この本を開くたびに、そんなひとりぼっちたちの純朴さに触れ、村内先生の優しさに触れ、心の奥に眠っている、温かな気持ちをそっと呼び起こすことができる。
だからこそ僕はこの本を、事あるごとに開く。