ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

すべての孤独・孤立は"救われるべき"なの?

いきなり記事タイトルに対して結論から申し上げますと、試験に受かるためには自分の本心に反して「すべて救われるべき!」とメサイアコンプレックス丸出しで行ったほうが戦略的です 大事なのは試験で評価されることで、アカデミックなことではないのですから

以下はドツボにはまった私の思考過程をつらつら連ねた駄文です

進んで孤立を選ぶ人々

「人生は冒険や!」「不登校は不幸じゃない」でおなじみの某少年革命家ももうすぐ14歳になるそうです そのうち義務教育を終え、不登校少年革命家ではなく中卒青年革命家になるのでしょうか 彼と親御さんの今後に注目です

 

今年度の強要区分二次の企画提案テーマ、例年にもまして「そもそもなんでこの分野の対策をすべきなのか」の答えを出すのが難しいテーマだと感じています(1週間前になって気づくな)

 

冒頭に挙げた少年革命家は特異な例に見えるかもしれませんが、「進んで不登校を選んでいる」「学校だろうとフリースクールだろうと人と社会生活を送る場に出るのがストレスだ」といって孤立を選ぶ不登校生徒は一定数いると思われます

アメリカなどホームスクールが法制度としてある国においても、不登校は「解決すべき孤独・孤立」として位置付けられているのでしょうか 

地元にいて今年90を超える私の祖母は、独居高齢者でありますが、「ひとりがいい」と子や孫との同居を拒んでいます 僕が祖母を実家に無理やり連れていくのは善なのでしょうか

内閣官房 孤独・孤立対策の重点計画 より引用

 

「孤独」が主観的なもの、「孤立」は客観的なものと一般に定義されるそうですが、上記のような例は「『孤立』しているが、『孤独』を感じていない」にあたるのでしょうか  

対人関係に苦手意識・トラウマ等があって孤立を選んでいる方の中には、「孤独は感じているけれども、対人関係のある社会生活に入った方が幸福度が下がるから進んで孤立を選んでいる」方もいそうです (私もややその傾向があります) ASD傾向のある人、対人恐怖症の人、不安障害のある人等々、「そもそも社会生活全般が苦手なのだから、学校や職場はもちろんフリースクールでもデイケアでもジョブカフェでも行きたくない」と感じるでしょう

 

本人は孤立を選んでいるが、家族が困難を抱え、家族は本人に社会生活に入ってほしいと望んでいる場合もあります この場合、本人の自己決定を尊重して介入しないべきなのでしょうか 家族の意思を尊重して介入するべきなのでしょうか

www.youtube.com

そもそも医療福祉教育分野でこんなにも本人の自己決定権と衝突するパターナリズム(父権主義)的介入が許されているのってなぜでしたっけ そもそも義務教育ってなんで(保護者に対する)義務にできるんでしたっけ? 学校教育法16条、17条で親は子を小中に就学させないといけないってしてるんでしたっけ?

独居高齢者の孤独死、増えています 若年無業者の割合、増えています 小中のひきこもり、増えています 中高年のひきこもり、増えています 

もし全員が社会参画を望んでいるならば解決すべき課題です。しかしこの中には一定程度「進んで選んでいる孤立」が含まれているはずです 前述の「対人関係全般が苦手」の人だと「気は進まないが選んでいる孤立」といえそうですが、これは解決すべき課題なのでしょうか

明確に課題なのは「進んで選んでいない孤立」「孤独」でしょう。「進んで選んでいる孤立」は家族が社会参画を望んでいる場合に、という留保付きで議論の俎上に乗る気がします 「気は進まないが選んでいる孤立」はインターネット等の活用で自分の苦手のない形で社会と関わることはできそうですが、実際に場に赴いて社会と交わることが本人にとっていいのかは疑問の余地があります

 

(補論)「望まない孤独」という語の意味

さきほど引用した「孤独・孤立対策重点計画」では、「望まない孤独」及び「孤立」を対象にして、と記載があります 「望んでいる孤独」もあるのでしょうか。進んで寂しいと感じたがる人がいるんでしょうか。

ググったら大空幸星さんという方の造語らしく、この方の提言で孤独・孤立対策担当大臣設置につながったらしい。すごい方だ。

 

 

引用元:https://mainichi.jp/articles/20210421/k00/00m/040/367000c

「望まない孤独」という限定をつけるからには「望んでいる孤独」もあるのでしょうか この記事によれば「孤独を愛せ」「孤独が人を強くする」のような「一部の人に肯定的に捉えられる孤独」と区別するための語句のようです

つまり、「望まない孤独」=肯定的に捉えようのない主観的寂しさ

ということのようです 

「望まない」という字面からは私が上記で孤立を「進んで選んでいる/選んでいない孤立」「望んでいない/望んでいない孤立」と自己決定に基づいて分類したものと近い分類の仕方なのかと思ってしまって「主観的寂しさを進んで選ぶってなんだ???」と混乱していましたが、

「受け入れ得ない」のか「受け入れ得るのか」、もっと雑に言えば「いいものか」「悪いものか」のような分類をしている語のようですね 「望まない孤独」=「悪性孤独」のように言い換えた方が個人的には理解しやすいです この意味なら「望まない孤独」とするより「望まれない孤独」の方がわかりやすくない?

 

孤独・孤立を対策して何を実現したいの?

企画提案でもGDでも目標や理想像は肝心です。 なぜなら、それまで議題にしていた政策よりも、目標を達成できる、よりよい手段があるならそちらをとった方がいい、となるからです

A.経済成長

B.将来の社会保障費増大の防止

C.国民個々人の生活における幸福の実現

D.少子高齢化の抑制

(友人のツイートを参考に)パッと思いつくものを挙げてみました

Aについては、「若年無業者や中高年のひきこもりが就労したとして、経済への影響って数%じゃない?効果に見合わない費用かけてない?労働意欲のある失業者に職見つけるのが先じゃない?」となるので、違いそうです

Bについては、ややありそうです ひきこもりや若年無業者の方の親が亡くなった場合、生活保護など税金で支えることになる可能性が高いです ただ、独居高齢者の孤独対策は「心身健康に長生きしてほしい」ようなので、社会保障費を減らそうという方向とずれる気はします

Cが現行の施策を見るに政策目的としては個人的には一番納得いきます 日本全体の富のための施策というより、個人のwell-beingのための施策だと考える。ただ、目的がCとするなら後述の「幸福を政府が決めるのか?」「孤立するのが幸福な人はどうすれば?」のような問題が発生します

Dについては、若年無業者不登校、ひきこもりのように若者が社会参画しないと出生数が減ってしまう、という考え方です ただ、そこがメインなら独居高齢者や中高年のひきこもりは対象に含まない気もします

 

前述の大空幸星氏の発言等を見ても、国富を考えているというよりは個人を見た施策のようなので、Cと考えるのが妥当でしょうか。公的資料に明記してあるよ、などあったら@pita_utlawまで伝えていただけると喜びます

そしてCだと考えると、「幸福ってなんなのか政治行政が決めるの?」となってきます

 

幸福ってなんだっけ? ー法哲学に触れながらー

幸福とは何か?という問いは古来から哲学で問われ続けてきた類のもので、近年では以下の3つの陣営に分けられます。

①快楽説→快を得られれば幸せ

②欲求充足説→望みが叶えば幸せ (自己実現欲求等も含む)

③客観的リスト説→客観的に見て"善い"状態であれば幸せ(リストの例:健康、自由、友人)

わかりやすい例として挙げられるのは、「禁煙をするのは幸福か?」という命題。

快楽を得られていないので①の説からすると不幸だが、望み「禁煙したい」を叶えられているので②の説からすると幸福、③の説からすると健康になるので幸福、となる

「(進んでやっている)薬物/アルコール/ニコチン中毒者は幸福か?」という命題。

快楽を得られているし望みを叶えられているので①②からすると幸福、健康を害しているので③からすると不幸、となります

若干幸福の定義の文脈から逸れますが、快楽功利主義の論点でロバート・ノージックは「経験機械(最高の快楽・経験を約束する機械)に死ぬまで入っていたいか? いや、多くの人は入りたがらないだろう」と主張します。私個人は入っていたい側なのですが、読者の方はどうでしょうか。

 

強要区分の話に戻りましょう。

「進んで選択している中高年のひきこもりは幸福か?」という命題を考えてみる 快も得られているし本人の望みは叶っているので①②からすると幸福だが、客観的に見て"善い"とされる状態ではないので③からすると不幸である 親も自分が面倒を見られなくなった後のことが心配で、親・家族の幸福度も下げていそうである

 

「少年革命家は幸福か?」を考えてみましょう。

①:クラウドファンディングして日本一周したりしているのは楽しそうだが、インターネットで叩かれていることも多く本人が主観的に快と感じられているかは不明

②:「本人の望み」に親の影響が強い小中学生が「望み」を果たすことで幸福とされるのか、欲求充足説をよく調べてみないとわからない、現時点では不明だ

③:彼の状態は客観的に見て"善い"のか?「youtubeチャンネル登録者15万人で世間的知名度も高い、支持者もいる」と切り取れば"善い"といえそうだ 「学校に通っておらず(実は通ってるなんて話も聞くが)九九など義務教育が怪しく、側から見て将来が不安である」と切り取れば"善い"とは言えない ③についても判断がつかない

彼の場合、親も彼の不登校の状態を望んでいるようだ 彼とその家族に行政が介入すべきなのか?

youtu.be

リベラリズムパターナリズムリバタリアンパターナリズム

リベラリズム(自由主義):個人の自由を重んじ、他人に危害を加えていない個人への他(政治や親など)の介入を許さない。J.S.ミルのような古典的な自由主義をここでは指す。(cf.危害原理)

パターナリズム(父権主義):強い立場の者が、弱い立場の者に対して(親から子、教師から生徒、医者から患者、政府から国民等)弱い立場の者の利益のためだとして積極的に介入する立場

1人で望んで(誰にも迷惑をかけず)堕落・孤立・不健康になっていく人がいたとして、そこに介入していくのはリベラリズム的にはNO、パターナリズム的にはYESです

(このあたりに興味のある方は、「ハート=デブリン論争」などで調べてみてください)

 

リバタリアンパターナリズム:本人に選択を任せつつ、(社会的・客観的に善いとされる方向へ)誘導する立場

例:デフォルト・ルール→"望ましい"選択肢をデフォルトとしつつ利用者に選ばせる

フレーミング効果→「この手術を受けると100人中10人も死亡しています」と伝えるのではなくて、「この手術を受けると100人中90人も生存しています」と伝えた上で患者に選ばせる

関連:ナッジ(行動経済学):相手の背中をそっと押す

例→2000円以上で送料無料!→消費量が増える

看板や口頭、本の平積み等で販売者からオススメを伝える→その商品の購入が増える

 

3つの立場を紹介しましたが、孤独・孤立にはどの立場からアプローチするべきなのでしょうか

リベラリズムの立場からすると、嫌がる対象者に行政から「学校に行きませんか」「あなたは生活保護の申請をするべきです」と毎日訪問したりして介入するのは良くなさそうです

逆にパターナリズムの立場からすると本人の就職・幸福に最終的につながるのなら嫌がっていようが引っ張ってでも介入していくべきです

リバタリアンパターナリズム的なアプローチはどういったものがとれるでしょうか。

生活保護は恥ずかしいことではない」ことを伝えるために、生活保護のポジティブなキャンペーンを行う

ジョブカフェデイケアフリースクール、学習支援センター等の社会的活動の場のポジティブキャンペーンを行う

自分の小さい脳みそではこの程度しか思いつきませんでした

 

逆に、「(税金を使うから)社会保障サービスを使われないように誘導する」という行政もあります。今学期受けた行政学の授業で「生活保護申請窓口を掲示板などで隠して暗くして申請されないようにしている」事例が紹介されました。

 

私個人は、個人の自由意志に反する介入はしてほしくないし、自由意志を操作・誘導されるのも嫌なのでリベラリズム、つまり「望んで客観的に見ると不幸な方向に向かっている人はほっといてあげるべき」という立場です

 

そうはいってもやはり孤立には対策をすべき?

この記事を書いている途中に、FFの方が(おそらく独居高齢者を主に念頭に置いて)「社会と交わりたくない人は無理に交わる必要はないが、緊急の時に助けを求められないのは問題だからそこは別に施策が必要」という旨のツイートをされていました

なるほど、と思いました

社会と交わりたくない独居高齢者にしろ、独り身の中高年のひきこもりにしろ、一人暮らしの学生のひきこもりや一人暮らしの若年無業者にしろ、突然倒れると孤独死してしまう可能性が高いです。かくいう私もこの危険性を常に親から心配されています。

原理的リベラリズムからするとこれにも介入はしないべきなのでしょうが、私個人は「それはさすがに介入すべきだろう」と思います

郵便局員や宅配配達員による独居世帯の安否確認、独居高齢者の家への「見守りカメラ」の設置程度は、本人が嫌がったとしても家族が望めばしたほうがいいのではないでしょうか

ただし、これは私の立場であり、それに対しても介入しないべき、という立場ももちろんありえます

 

試験に受かる戦略的態度

「こいつめんどくせ〜〜〜〜〜〜!!」と読者の方は思われたでしょうか。そう思う方は最初3行くらい読んでブラバしているでしょうか

こんなつらつら書いたようなことを企画提案試験で5分使って喋ったらもちろん落ちます。1分使って法哲学の議論を簡潔に紹介できたとしても施策の説明に時間を使ったほうが評価されそうです。

個人的に「介入しないべき」と思っていたとしても「介入して救うべき!」と主張するしかないです それに基づいて企画提案は考えましょう

カーボンニュートラルって政府方針には反対で〜」「そもそも二酸化炭素は火山からの排出が多くて〜」「二酸化炭素より水蒸気の方が温室効果が高くて〜」「EVの推進ってのは環境保護を隠れ蓑にして欧米が日本を自動車市場から蹴落とそうとするキャンペーンで〜」みたいなことを企画提案やグルディスで言ってくる受験生がいたら、あなたが試験官なら落とすでしょう

 

企画提案試験は就活です!論文ではありません!

「御省が第一志望です!」「御省も第一志望です!」「私は国の方針に全て賛同しています!」「政治主導最高!」「官邸主導最高!」「すべての議員の先生方を心から尊敬しています!」

胸に刻んで二次試験・官庁訪問に臨んでいきたいと思います

 

※最後まで読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。こういう私の駄文に興味がある方は、当ブログの過去記事も見ていっていただけると嬉しいです