ぴたぱんの備忘録

物語と人が好き。本とか映画とかドラマとかゲーム実況とか漫画とかアニメとか。触れた直後の想いを残しときます。

ごめん、同窓会には行けません。いま、レバノンにいます。

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出典:NHK news web https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191231/k10012232821000.html

英単語

rampant:横行する、はびこる rig:不正手段で操る flagrant:目に余る

(weblioによるとrampant, flagrantは英検一級以上、rigは(船の)索具を装備する、(服を)着せる、装うなどの意味は英検準一級レベルだそうです、rigはまあ覚えといて損はない)

 

"I have not fled justice -- I have escaped injustice and political persecution."

「映画みたいな事件だ」「Ghosn is gone!!」「Mr. Bean is innocent!」などの声が日本でも海外でも多く聞かれますが、「不正な法制度,刑罰からは逃げていいのか」これは古代ギリシアから続く法哲学上の極めて大きな問題なので試験勉強がてら軽く法哲学の議論を紹介します。合わせて、日本の刑事司法制度が批判される点についてまとめましょう。(これはあまり詳しくありませんので適当に書きます)

 

 

 Twitterの弁護士さんの反応

 ロイター通信、ワシントンポストブルームバーグなどの国際的大手メディアが日本の刑事司法制度が後進国であるという内容を今回の報道とともにしているようです。

 ツイート引用した法律のプロたちにこの記事見つかって叩かれたら怖いな…法学部生ではありますが実定法専攻ではありませんので誤り・不勉強な点はご容赦願いたいです。

 

 

日本の刑事司法制度の問題点

国際的非難→有罪率99%以上、死刑存置代用監獄(起訴前拘禁)、自白強要、弁護士立会いのない取り調べ etc.(詳しくは不勉強のため知りません)

興味のある方は日弁連の「国連拷問禁止委員会は日本政府に何を求めたのか」

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/UNC_against_torture_pam.pdf などをご参照ください

国内からの非難→上のツイートを借りると、黙秘権の無視、身柄拘束と接見禁止の長期化etc.

 

今回の報道の海外におけるニュース動画のyoutubeコメントなどを見ていると、conviction rate 有罪率の高さを挙げて日本は後進的な刑事司法制度だとしているものが目立ったようです。これに関しては、「システムが海外と違うから一概に比較できない」というのが正直なところです。

miurayoshitaka.hatenablog.com

ご存知の方も多いかもしれませんが、この"有罪率99%以上"は「疑われた人が99%以上有罪になる」訳ではありません。捜査→起訴→裁判となる訳ですが、日本は検察官が有罪だと確証がある場合しか起訴しないという慣例があり、不起訴率が他国より高い60%以上となっています。検察官送致された被疑者のうち最終的に有罪になる割合は諸外国より低いくらいです。しかし、これが一概にいいと言えるかは議論の余地があります。メリットデメリットがありますが、これについては話せば長くなるので興味のある方は調べてみてください。兎に角、背景事情を知らずに有罪率99%以上→日本では被疑者の人権が守られていない!と飛びつくのは早計だということを念押ししておきます。

この記事の本題ではないので深入りはしないでおきます。

 

 

悪法もまた法なり

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

 

 「悪法もまた法なり(悪法も法なり)」は日本独自の言葉だという説があります。ラテン語法諺"Dūra lēx sed lēx."が似て非なる意味だとかなんとか。少なくともソクラテスがこれを言ったという記録が残っている訳ではないようです。しかし、日本語の「悪法も法なり」が言われる意味のこと(不公正だと思われる法(判決)にも従う義務がある、個人の勝手で破られれば国家は転覆する)という趣旨のことをソクラテスが言ったと『クリトン』でプラトンは書いています。

青少年に悪しき教えをしたとして裁判にかけられ死刑になったソクラテス(この裁判の弁論で有名な「無知の知」が出てきます)が死刑執行直前にクリトンから逃げようと誘われても逃げなかったこと、それはこの悪法に従う義務の他にも要因はあったようです。史実の正しさに拘ってもキリがないのでここではよく言われるようにソクラテスが言ったとしましょう。

ちなみに、アリストテレスアテネ市民によって訴訟されそうになった時、アリストテレスは「アテネの人々に再び哲学に対する過ちを犯させたくない」と言い残して逃げていったらしいです。個人合理的ですね。

 

史実はどうでもいいのですが、

「悪法は法なのか?」を少しこの章で考えていきます。

 

ゴーン氏が「日本の司法は不正義だ!」といって日本よりズブズブな司法制度のレバノンに行っていることからゴーン氏が刑事手続後進国からの司法亡命者であるという主張は語るに落ちています。(レバノン生まれということもあるでしょうがブラジル育ちのようですし)ただ、いい機会なのでここから「法の規範性(悪法は法なのか)」「遵法義務」と言ったことについて法哲学の授業・教科書の内容を簡単にまとめて行きます。

 

法という企て

法という企て

 

 

 

強盗の脅迫と、暴力を備えた国家の法は何が違うのか?

先に引用したツイートに

 というものがありました。

法哲学において、「強盗の脅迫と国家の法はどのように違うのか?」「ナチ体制下の法は法なのか」という問題があります。ここでジョン・オースティンの主権者命令説の議論を取り上げたいと思います。マックスヴェーバー主権国家の定義を「暴力の独占」としました。カール・マルクスも国家を装置としました。警察権力のような暴力を背景にした主権者の命令として法を捉えると、それは強盗が脅迫してくるのと何が違うのか?法は国家という一定領域内における「最大最強の暴力団」の脅迫に過ぎないのではないか。

オースティンの理論は自然法学派に帰謬法(背理法)の形で利用されました。自然法学派は「悪法は法ではない」としましたが、

不正な法もまた法だ と仮定すると、結局強盗の脅迫と法律は同じだという不合理な結論が導かれる、したがって不正な法は法ではない Q.E.D. としたのです。 

法の概念 第3版 (ちくま学芸文庫)

法の概念 第3版 (ちくま学芸文庫)

 

H.L.A ハートはオースティンを強く批判しました。『法の概念』において第一次準則(人の行為に対する公的な支配)第二次準則(ルールの発生・変更・消滅の権限を付与する)を定義し、義務の第一次準則しかない世界は法秩序ではない、ルールの変更・同定・裁定に関する二次的ルールが必要だ。という第一次準則と第二次準則の結合としての法のモデルを提示し、威嚇命令モデルを克服し自然法論を退けようとしました。

ハートモデルに従えば、第二次準則を備えているためナチ体制下の法は悪法であってもハートの法概念は排除されません。ハートは第二次準則を備えていないため強盗の脅迫と法の区別に成功しているとしますが、井上教授は強盗の命令との峻別はできていないとします。暴力団のような反社会的勢力だって、ルールの変更等に関する二次的ルールが必要になることもあり、持つこともできるとします。

井上説は、「正義要求を持つものが法である」とします。正義を企てているものが法だというのです。

法は客観的に正義に適合しているか否かに関わりなく、正義に適合するものとして承認されることへの要求を内在させている。換言すれば、法は単に人々の行動を規制するだけでなく、かかる規制が正義の観点から正当化可能であるというという主張に論理的にコミットしている。もちろん「義賊」のように正義の実現者を自認する強盗もいるが、義賊的振る舞いは強盗という実践と偶然的・例外的に結合するに過ぎない。強盗が強盗であるためには義賊を気取る必要はない。しかし正義要求を持たない法、正義を気取ろうとさえしない法はもはや法ではない。

強盗は自己の要求のかかる正当化可能性をそもそも標榜していないからである。しかし、法においては、他者の要求や国家機関の決定に関する同様な反問は決して的外れではありえない。

 このように法を捉えることで、強盗の脅迫と国家の法を峻別することに成功していると井上教授は言います。

あのツイートの弁護士は誘拐犯の監禁と日本の法を区別できないと言っていたので主権者命令説の人なのでしょうか。

私は誘拐犯の監禁と日本の法は明確に区別できるものであり、類比の対象として適切ではないと考えます。

 

法の規範性・遵法義務

伝統的自然法論は不正な法は法ではないとしますが、H.L.A ハートのような(包含的)法実証主義者も、法と道徳の峻別についてハートと議論を繰り広げたドゥオーキンも、不正な法体制においても法的権利義務が発生するとします。

自然法と法実証主義

カトリック自然法は、法は神が創造した秩序だとして、近代自然法は人間本性に由来するものとして自然法なるものが存在するとし、自然法が実定法に授権するとしました。したがって、自然法学派では自然法に反する実定法は失効します。つまり、「悪法は法ではない」とされるのです。一方の法実証主義では自然法を認めず実定法と正義や善といった価値を切り離します。したがって「悪法も法なり」となります。注意すべきなのは、法実証主義者が悪法を容認している訳ではなく、多くの法実証主義者も悪法を批判しているという点です。近代国家が成立し、19世紀まで主だった自然法は廃れ、20世紀からは法実証主義が主流となっています。

ナチス法体制には従うべきなのか?

そんな法実証主義を主流とする動静も、戦後変化が見られます。他の哲学・心理学等にも大きな衝撃と変革をもたらしたナチスの問題です。かつて法実証主義者であったラートブルフは、ナチスの台頭でハイデルベルグ大学教授の地位を追われました。彼は立場を変え自然法の方に接近するようになります。「悪法も法なり」とした法実証主義ナチスを肯定することにつながったとしたのです。ナチス体制下の法は悪法であり法としての資格を失うとしました。これを自然法ルネッサンスと呼ぶようです。このラートブルフの見解を巡ってロン・L・フラーとハートは論争を繰り広げます。ハートは、ナチスの法もまた法であることに変わりはない。その上で従うことができないほど道徳的な問題が大きいとしました。一方で自然法思想に立脚するロン・フラーは「法内在道徳」を説き、法は道徳的要素を含んでいなければならないとしました。法の内在道徳が完全に無視されていた点でナチス法は法システムとはいえず、したがって市民に遵法義務はないのだとしました。

フラーとハートの議論は平行線を辿りましたが、「純一性としての法"law as integrity”」理論を唱えるドゥオーキン(ドウォーキン)(Dworkin)による法実証主義批判と法-道徳峻別問題のハートとドゥオーキンの論争など、法実証主義に対して盛んに批判がされるようになります。

 

私の立場

私個人としては、法実証主義に賛同する立場です。法に道徳という時間的にも空間的にも普遍性のないものを求めてはいけないと考えます。カニバリズムが当然の文化を持つ共同体であれば食人が行われていいはずですし、全員がマゾヒストの共同体があったならば殴る蹴るが合法になされていいはずです。ナチス法体制については、正式な手続きを取られていない立法が多く、短期間の限定的なものであるので”そもそもあんなものは法ではないので遵法義務はない”とする立場です。私がユダヤ人だったら一目散に亡命したでしょう。

近代国家には抵抗権があります。現行法が正しい法的手続きに基づいて制定された正統性のあるものならば、遵法義務が発生します。不満ならばまた正しい法的手続きに則って改正しなければなりません。主観的に悪法だと思っても従わなければならないだけではなく、客観的(国際的)に悪法だとされても従わなければなりません。

でもまあこれは優等生的回答というか、建前の話です。もし私がソクラテスアリストテレスのような状況になれば逃げの一手を打つでしょう。周囲から非難されようと。自分の自由より大事なものはない訳ですから。逃げるのが個人合理的なのは間違いありません。しかし、内心ではそう思っていたとしても、弁護士という立場で法を扱うことで生計を立てている立場で、かつ何万人もフォロワーがいて影響力の強い弁護士が遵法義務を蔑ろにするような発言をしているのが見られることは非常に残念でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019→2020

明けましておめでとうございます。2020年もよろしくお願いいたします。

2018年10月に始めたブログですが、なんだかんだと一年以上続いております。継続できるとは思ってもみませんでした。継続は力なり。

今回の投稿は読者の方のためになるような情報は一切ありません笑 私の個人的な振り返りと抱負を簡単に綴っていきますので、興味のある方はお付き合いください。(個人情報がバレないように書くの難しいな…)

2019年振り返り

1~2月 休学していたため実家で寝て過ごしていた。本読んだりゲームしたり。

3月 東京に戻ったので半年ぶりの友人に立て続けに会った。休学中から動かしていたサークル新規設立をした。大学1年次に所属していたサークルの仲間3人と茨城までドライブしてバンジージャンプを飛んだのが思い出。

4月 サークル本格的に始動。代表なので色々大変だった。大学一年次から続けている塾講を再開。ITベンチャーでのフルタイムバイトも半期で開始。他大学のボランティアサークルにも入る。出会いが多かった。

5月 GWにサークルで旅行に行く。大学で行った旅行で一番楽しかった。某務省イソターソには落ちた。休学は良くない。ライブに行ったり大学生っぽいことをしていた。古典の読書会に加入する。

6月 復学直後の熱が冷めて落ち着いてきた。

7月 テスト前のストレスで鬱が極度に悪化。かなり悪い状態になる。休学前と変わらず、テストはほとんど欠席した。家庭教師を開始。

8月 オープンキャンパスで高校生に法律の授業をした。盆は帰省。帰省中に家族と将来について真剣に考える。軽井沢旅行に行く。

9月 サークルで学園祭準備合宿をした。法曹志望を諦めることを決意。とある公務員を第一志望、民間就活もすることに。とある出版社のインターンにも行く。1・2年次のゼミの仲間と四国旅行に行った。

10月 後期はみんな就活なり院試なり卒論なりあるのでサークルは学園祭準備以外動かさないことに。鬱々とバイトだけしてあまり家から出なかった。

11月 バイトが塾講だけになる。調子が良くなく、予約した就活の諸々も全部欠席。ずっと準備していた学園祭本番があった。

12月 4社くらいで就活する。10月末に家庭教師を終えたため、代わりに昨年までやっていた法律事務所のバイトを再開。公務員試験・期末試験の勉強をぼちぼち開始。5月から読んでいた『正義論』の輪読が終わる。Macbookを新調。

 

〜学業〜

進路を変更。来年度から法曹養成専攻から政治学・基礎法学・経済学専攻に移ることに。前期は法教育のゼミに入り、司法試験の勉強も民法などちまちましていた。簿記とったりもした。9月に法曹志望をやめてから実定法の勉強はほぼやめた(刑事訴訟法だけはやっていた)。専ら心理学や哲学、行政学法哲学政治学をやっていた。

 

〜趣味〜

高3から追いかけていたK-POPに飽きた。ブームも過ぎたように感じる。ゲーム実況をほぼ毎日見ていた。steamで自分でゲームを買うようにもなった。デビッドカードを作ったことでApple musicやNetflixに加入した。

 

観た映画→(新作)KINGDOM、天気の子、ロケットマンヴァイオレットエヴァーガーデン外伝(旧作)LA LA LAND、gifted、マイ・インターントレイン・ミッションディストピア、スラムドッグミリオネア、ロードオブザリング、ハンガーゲーム、虐殺器官、<harmony/>、屍者の帝国、マイノリティリポート、ピクセル、LEON、カメラを止めるな!、BABY DRIVER、シェフ、paprika、IT、少女革命ウテナ劇場版、グレイテスト・ショーマン

(ミニ抱負:来年は月に3~4本、40~50本くらいの映画を観たいと思います。)

観たアニメ&読んだ漫画→ヴァイオレットエヴァーガーデン残響のテロル、さらざんまい、Dr. STONE、鬼滅の刃約束のネバーランド、SAOアリシゼーション、バキ、とあるシリーズ、とんがり帽子のアトリエ、ワールドトリガー(再燃) 他

読んだ小説→鬼人幻燈抄、嘔吐、十二国記シリーズ、薬屋のひとりごと虐殺器官アンドロイドは電気羊の夢を見るか?、The Catcher in the Rye、人魚の眠る家女王の百年密室 他

買ったゲーム(steam)→Academia (school simulator), Cuphead, Portal, Portal 2, Seeds of resilience, Stardew Valley, Super Animal Royal, Totally Accurate Battle Simulator 他

しばらくやったスマホゲーム→黒猫のウィズ(休学中)、PUBG mobile、みんはや

観ていたYoutube→三人称(SANNINSHOW)、兄者弟者、kinako、quizknock、月ノ美兎、カプリティオ、夜桜たま(辞めたため転生先の楠栞桜へ)他

 

〜特にハマったもの〜

・三人称のゲーム実況は一昨年からずっと視聴してるが貢ぐようになった

Netflixには大変お世話になりました

・Apex legendsのゲーム実況がかなり好きだった

・steamゲームではPortal 2、Stardew Valley、Cupheadあたりはプレイ時間が10時間超えてる

・音楽は春は髭男を、夏秋冬はヨルシカをずっと聴いていた

・麻雀は歴4年目にしてようやく真剣にやるようになった、天鳳しばらくやり込んでた

・英語でネットサーフィンをしたり英語圏twitteryoutube、ニュース、論文等を見る機会がかなり増えた。世界が広がったように感じる。続けていきたい。

twitter歴7年目。相変わらずtwitterには張り付いている。大好きな某養われツイッタラーさんが辞めてしまって悲しい。

 

〜精神状態〜

双極性障害というか鬱は、まああるものの昨年一昨年よりはコントロールが上手くなった。死にたいと口にすることはこの一年で一度もなかった。ここ5年で初めての快挙。病院には通わなくなった。服薬も通院も続かないからだ。まあなんとかやっていけている。特に冬季に昨年一昨年のように日常生活に支障が出てドタキャンを繰り返すほどひどい状態にならなかったのは成長だと思う。

休学中に虚無と真剣に向き合って他人や自分のしょうもない価値判断を無視する癖がついたこと、先人に学びながら自分で自分の信念体系を作れたこと、友人への依存を減らし少し自立を果たせたこと、Twitterの大きい垢を消すなどして合わない大学の友人との交流をほとんど絶ったこと、司法試験をやめたこと、などがいい方向に働く要因になったものと考えられる。

 

2020に向けて

レベル0 (最低限)

 生きて2021年を迎える

レベル1 (絶対に達成したい)

 卒業できるだけの単位をとる

 就職先を決める

レベル2 (達成したい)

 第一志望の公務員試験に合格する

レベル3 (可能なら達成したい)

 映画を50本観る

 ダイエット・筋トレをする

 古典を読むのを継続する(ハイデッガーフーコーあたり)

 サークルを継続する

レベル4 (やれると嬉しい)

 簿記・TOEIC行政書士などの資格とる

 英会話教室に通う

 いい人を見つける

 

〜2020年の楽しみなこと〜

シン・エヴァンゲリオン劇場版(6月)、リゼロ2期(4月)、東京オリンピック(7月〜8月)

 

毎日を非日常にしていきたいですね。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

Sexual objectification表象のアウトなラインがわからない

ラノベとか漫画アニメでの女性表象問題について。

一昨日の小宮准教授の記事(貼っている記事で上から二番目のもの)が燃えてるので。

私が考える材料にしている記事をいくつか貼り付けますがこの辺の議論に慣れてる人は無視していいです

websekai.iwanami.co.jp

gendai.ismedia.jp

gendai.ismedia.jp

www.anlyznews.com

note.com

 

 

 

私としては自分でも反対なのか賛成なのかなんとも言えない立場ですし、いろんな立場の人がいますよね。

パッと見た感じ、論点としては、

表現の自由の侵害に当たるか、規制して良い合理性があるか」

ゾーニングを徹底しろ(嫌なら見なければいい、不快な人の目につかなければいい)」

「これらの絵で女性キャラを性的モノ化しているのは女性への侮辱にあたるor女性への性的客体としての眼差しの風潮を助長する」 vs  「単に一個人のキャラを描いているだけで女性一般を指しているわけではない」「二次元と三次元を混同しすぎ(二次元での表現が三次元での行動に影響を及ぼすことはないor二次元での表現が現実での侮辱にあたることはない」

小宮「これらの女性に対する意味付けを含む表象は女性にとって累積的な問題として経験される」「理由のある露出、主体的な表現としての露出なら構わない」vs 批判「記事の理由のある露出(水着)も海外では批判され得る」「女王様もの、お姉さんモノなど、主体的能動的な女性を描いたコンテンツならいいのか」

「女性作者による女性の性的露出の多い絵もたくさんある」「主体的能動的に性的モノ化される女性を非難するのか」

などなど…

 

まとめるだけで疲れる。

 

論点ごとで、こっちは賛成できるけどこっちは賛成できない、みたいなそれぞれ立場があって、一概に「擁護派」「規制派」とか言えないと思うんですよね。

アウトだと言う合意が形成される(そんなんコンセンサスなんかないけど)ラインはどこなのか思考実験してみたいと思います。

もちろん、発言力の大きさが人によること、ネットで拡散されることにより「アウト」のラインが変わる可能性などありますが、そこはご容赦ください。社会調査したらどうなるか独断と偏見で書いただけです。

 

事例1:

ある男性が、ある女性に向かって、「お前のことは穴/オナホとしてみてる」「お前は俺の性奴隷/肉便器」などといった発言をする

(過激な設例で申し訳ありません)

これは、「三次元」で「男性が」「女性を性的客体視」していて「女性を人格を認めない性的消費対象」にしていて、それを女性に向かって「直接表明している」例です。

アンケートとったわけではないですけど、8割くらいの人は「アウト」だとするのではないでしょうか。

 

事例2:

事例1のような発言を主人公がしている成人男性向け漫画がある。絵は性的に強調されているわけではない。その主人公の発言は作中で特に制裁を受けることもない。ちなみにこの作品はポスターにして公の空間に掲示されたり、書店で目に見える位置に平積みにされているわけではない。作者は男女不明。

事例1を二次元に条件だけ変えました。ゾーニングは徹底している状態です。一般向け漫画なら老若男女手に取る可能性がありますが、成人男性が多く手に取るとします。

正直こんな表現多くあります。成人向け漫画では穏やかな方でしょう。強姦・陵辱モノなどありふれていますから。

不快に思う方は女性を中心に4割くらいはいるかもしれません。しかし、ゾーニングが徹底していますし読む人は成人向けだという点に合意しているのでこれに規制をしろなんて声は(一部ありますが)そんなに多くは聞かれません。

セーフなのかな。

 

事例3:

事例2の漫画の当該「お前はオナホ」発言部分が肯定的な文脈でポスターとして老若男女の目に触れる場所(病院のような公共の場)に掲示されている。

これをどうやって肯定的な文脈で使うんだよって感じですが、まあこの漫画の宣伝ポスターだとでも思ってください。

これは、「二次元」で「男性が」「女性を性的客体視」していて「女性を人格を認めない性的消費対象」にしていて、それを女性に向かって「直接表明している」場面が「漫画という媒体で」「公衆の目に触れる形で」ある場合です。

仮に病院だとして、この病院は自主規制する可能性がありますが、掲示されているものとして考えて下さい。

独断と偏見でいうと、「面白そうだから買おうかな」が1割、「なんか気持ち悪いけどまあそんなポスターどこにでもいっぱいあるからどうでもいいや」が5割、「不快だなあ」が3割、病院に苦情入れるのが1割、といったところでしょうか。

まあ自主規制入れるかもしれないし、少し「アウト」だと感じる人がいることは当然に予想されはします。

 

事例1が三次元、事例2が二次元(ゾーニングされている)事例3が二次元(ゾーニンングされていない)

の例でした。ゾーニングさえある程度されていればどんな表現も大きな問題にはならないように感じるので、以下は公衆の目に触れる場合を考えていきたいと思います。

 

過激レベルを下げていくつかの条件を変えてみましょう。

事例4:

飲み会で、CちゃんやDちゃんに聞こえる大声で、男性Aと男性Bが「Cちゃんはヤれる、Dちゃんはヤれない」「Eちゃんは抱ける」などと発言している。

事例5:

飲み会で、CさんやDさんEさんはその場にいないが、他の女性に聞こえる大声で、男性Aと男性Bが「Cちゃんはヤれる、Dちゃんはヤれない」「Eちゃんは抱ける」などと発言している。

事例6:

事例5の発言を主人公が漫画内でしていて、主人公が他の登場人物から非難や制裁、陰口を受けることは特にない。対象は男性向けではあるが一般漫画。

事例7:

飲み会で、男性陣HやIに聞こえる大声で、女性Fと女性Gが「Hには抱かれたくない、Iになら抱かれたい」などと発言している。

事例8:

事例7の発言を主人公(女性)が漫画内でしていて、主人公が他の登場人物から非難や制裁、陰口を受けることは特にない。一般漫画。

条件は揃えろ、対照実験しろ!とお叱りがあるかもしれませんが、動かす条件がいくつもあると何十パターンも設例しないといけなくなるので紙面の都合でいくつかの条件を同時に変えていることをご容赦ください。

 

事例4、5は「三次元」で「男性が」「女性を性的客体視」していて「女性を人格を認めない性的消費対象」にしていて、それを女性に向かって「間接表明している」例です。事例1を過激さを抑えて間接的にしたものです。

これはいわゆる「セクハラ」とされる典型例です。20世紀ならお咎めなしだったかもしれませんが、今はアウトでしょう。男性からも止めに入る人がいることが予想されます。4のように本人が聞いていようが5のように本人が聞いていまいが咎められるでしょう。

 

事例6の評価はかなり分かれるのではないでしょうか。この漫画が人気漫画なら一部のフェミニストの方は出版社に苦情を入れるかもしれません。twitterで議論が巻き起こるかもしれませんね。

 

事例7は主体が女性の場合です。松本人志が「抱かれたくない男ランキングはセクハラ」と主張して議論を呼んでいました。「ヤレる女子大の特徴」だとセーフ:アウト=4:6くらいかもしれませんが、男女が逆転するとセーフ:アウト=6:4くらいには判断が変わるかもしれません。飲み会での直接表明でも6:4くらいでしょう。まあこの男女の非対称性は時が経てば変わるかもしれませんね。

 

事例8のようなものになればそもそも論争すら起きずスルーされるかもしれません。

 

 

これまでは「発言」を扱ってきましたが、より燃えている事例に近い、女性身体の描き方で考えてみましょう。

事例9:

胸の大きいグラビアアイドルが水着で献血の広告をしている。公共の場に掲示されている。

事例10:

胸の大きいグラビアアイドルが露出の少ない格好で献血の広告をしている。公共の場に掲示されている。

事例11:

女性作家の描く胸の大きいキャラが露出の多い格好で献血の広告をしている。公共の場に掲示されている。(高橋留美子先生の『うる星やつら』ラムのイメージ)

 

 

事例12:

宇崎ちゃん献血ポスターの事案

 

 

そもそも、「露出が多い胸や尻の大きい女性を描く」ことが「女性に対する性的客体化というメッセージ→侮辱」だと受け取る人が全人口の何割なのか知りませんが、仮に2割だとしましょう。単に胸が大きくても描き方が客体性を強調する描き方でなければいいという小宮先生のような方もいらっしゃいますし。

事例9は「三次元」で「男性が」「女性を性的客体視」していて(小宮先生の言う理由のない露出)、「女性が能動的にその構造に参入している」のが「公衆の目に触れている」場合。どうなんでしょう。検討するのが面倒になってきました。紐のような水着だったら苦情をいう人がいるかもしれませんし、少し胸元が大きく開いた服程度だったら苦情を言わないかもしれません。紐だったら性的羞恥心の惹起みたいな違う問題が発生しそう。

事例10はセーフだと言うコンセンサスが取れるんじゃないですか。一部にはグラビアアイドル使う必要ないって人もいるかもしれませんが。

 

事例11はどうでしょう。まあラムは絵柄が古いのと女性作家と言うことがあって性的レベルが現代漫画ほどではないんですが。主体的で気の強い女性として描かれているキャラクターですね。

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出典https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000085.000009251.html

私も幼い頃、うる星やつらの再放送が地上波であっていた時はえっちだと思って親がいる前では見れなかったのですが、今では何も感じないので、性的だと感じるかは個人差があるでしょう。 

まあストーリーは忘れたので理由のない露出かどうかはわかりませんが、セーフなんじゃないですか。

 

事例12です。

 本当はもっと色々な男性作家の胸が大きい女性キャラを持ってきて比較したかったのですが面倒なのでやめました。To LOVEるなら、ゆらぎ荘なら、監獄学園なら、ハイスクールD×Dなら、ワンピースなら…

 私はワンピースは大丈夫だろう、To LOVEるとかが献血ポスターしてたら苦情出るかもな、宇崎ちゃんの漫画は知らないしわからない、という線引きなのですが、どこで線引きする方が多いのでしょうか。

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スケスケスカートが問題になったやつ 出典:https://www.j-cast.com/2016/10/18280985.html?p=all

 

私個人の立場は、「特定の女性の描き方による性的客体化というメッセージの危険性」という主張の言いたいことはわかるややフェミニズム側の人間なので、「このキャラだとまずいな、苦情を言う人がいるかもな」という表現がありますが、これに賛同できない人が大多数だと思います。私の線引きが一般的だとは思っていません。私も「まずいな」と思う表現はあっても「それを規制しろ」とは主張しません。経済的な市場で、言論の自由市場(Market of ideas)で淘汰されるなら淘汰される、需要があるなら生き残るに任せるべきだと思います。

 

事例13:

成人向け漫画で、体に「肉便器」と書かれた女性が描かれているシーンの漫画の広告ポスターが公共の場(病院など)に貼ってある

事例14:

成人男性向け漫画の強姦ものの過激なシーンのバナー広告が一般サイトで出てくる

事例15:

成人女性向け漫画(BL、ティーンズラブ)の露出の多い細マッチョイケメン俺様系男性の広告ポスターのバナー広告が一般サイトで出てくる

事例16:

成人男性向け漫画(和姦もの)の、女性が主体的能動的に行動している過激なシーンの広告ポスターのバナー広告が一般サイトに出てくる

検討するのに疲れてきました。

宇崎ちゃんポスターやラノベの表紙は別にいいと思うけど、13は駄目だろうという方はいるのではないでしょうか

 

14もたまに議論の俎上に上がります。 事例2で触れたように、強姦のような過激な成人男性向け漫画であっても、ゾーニングが徹底されていれば問題になることは少ないです。しかしながら、一般サイトのバナー広告にこれらの漫画が多く出てくることも事実で、ネットユーザーであれば老若男女の目に触れます。私の女性の友人でも不快に思うという方がいました。2〜3割の人はアウトだとするのではないでしょうか。15のように成人女性向け漫画だったらいいのでしょうか。16のように女性が主体的能動的に行動している(女王様もの、オネショタものような)ものだったらいいのでしょうか。小宮理論だといいことになりそうです。

 

事例17:

成人向け雑誌・漫画がコンビニに置いてある

事例18:

一般向け漫画で棒アイスを舐めさせるなどの性的なメタファーが表紙で使われているものがコンビニに置いてある

 

事例19:

上半身裸の男性俳優が表紙を飾る女性誌がコンビニに置いてある

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参考画像 出典:https://ddnavi.com/news/470873/a/

事例20:

上半身裸の俳優が献血ポスターをしている (上の竹内涼真のイメージ)

 

 

17について。東京オリンピックに向けて「海外ではありえない」との批判からコンビニから成人誌がなくなりつつあるようです。イギリスやドイツで見たという話もちらほら聞きますが本当に海外ではありえないのでしょうか。それはともかく。成人誌は撤去されても青年誌のグラビアアイドルが表紙を飾っているようなものは撤去されないようです。コンビニの事例だと、青少年の健全な育成みたいな論点も出てきそうですね。どこまでならアウトでどこからはセーフなのでしょう。グラビアはセーフなのか。厳しめに見てグラビアがアウトだとして、事例18のような表現もダメなのか。壇蜜が「肉汁トロットロ」と発言したり亀の頭を撫でるcmが過激だとして放送中止になったことがありましたね。メタファーだとしてもアウトな場合があるようです。

事例19、20について。ananはsex特集などを多くしている女性向け雑誌で、女性向けavが付録でついていたりします。女性が男性を性的に消費しているものは、公衆の目に触れていいのでしょうか。20のように、上半身裸のイケメン芸能人が献血の広告をしていたらどうでしょう。「女性が」「男性を性的客体として見ている」「三次元の」「公衆の目に触れている」表現です。「不必要な露出」でもあります。男性と女性が逆になっただけで世間の評価は変わるのでしょうか。

 

 

この辺りで検討は終えたいと思います。本当は社会調査をしてデータの仮説検定をして…とやらなければならないところですがブログなので。読者の方でも色々な場合を想定してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

エンタメ・フィクションについて

ハロウィンも終わり、クリスマスソングがところどころで聞かれる季節になりました。暇な方はとりとめのない駄文にお付き合いください。

 

0. はじめに

 22年間の半生において、現実で得た幸福の総量よりも小説・その他読書・ドラマ・映画・アニメ・ゲームで得た幸福の総量の方が多いのではないか、そう思えるほどそれらにのめり込んだ生活を送ってきた。物心ついた時には本を片手にしていて、4歳の頃には『ハリーポッターと秘密の部屋』のような分厚い本にも手を出していた。小学生の頃は外で遊ぶ同級生を尻目に500ページとかの分厚い本を抱えて図書館に足繁く通っていたし、小学校高学年〜中学時代に思春期特有の「友達と話さないで本読むと浮くかな」的な考えを抱くようになっても家に帰ればずっと本を読んでいた。ドラマも人並みに見てきた上に、大学に入ってゲーム・アニメ・映画にまでかなりの時間をかけるようになった。映画だけ詳しい人・アニメだけ詳しい人・小説だけ詳しい人なら無数にいるが、割と満遍なく広く浅くやっている方だと自負している。

「現実なんてコミュニティの一つ。そのコミュニティが合わない人は現実を適当にこなしながらフィクションの世界で楽しめばいい」をモットーの一つにしている。

この記事では、ポップカルチャーに属する大衆小説・大衆音楽・ドラマ・映画を念頭に私が思うことをつらつらと書いていきたいと思う。

 

1.  ポップカルチャーハイカルチャー・高尚/低俗

18歳の時分、上京して東大に入学して真っ先に感じたショックはハイカルチャー圏の人が、多数派とはいえないとはいえそれまで自分のいた環境よりはるかに多いことだった。当たり前のように古典、純文学、伝統芸能、クラシック、美術等々が話題に上がる。映画にしても、洒落たハイソな一昔前のフランス映画なんかに詳しかったりする。(フランス語クラスだったのでその影響も少なからずあるだろう。)彼らの親は、高校時代の友人は、そういったものを摂取して生きてきたのだろうか。だとすれば彼らは顔は目が二つ鼻が一つ耳が二つで似たようなものだが中身は全く違う生物なんじゃないかとも思った。公立小中高出身の私は、もっと下卑た粗野な娯楽で友人と会話し、生活を彩ってきた。周りにハイカルチャーの話をしている人なんて県内一の進学校だった高校でも誰一人いなかったように思う。

そもそもcultureとはhigh cultureを指す語だったときく。colere:耕すが語源だというのだから、涵養に資するようなものこそが「文化」だったのだろうか。ポップカルチャーでも人格や知性の涵養はできると思うが。

少し前、twitterで「文化資本」がトレンドワードだったことがあった。ブルデュー社会学にちゃんと触れたことがないので適当なことは言えないが、親が子供に引き継ぐ資産として、家の文化的な財や学歴、ハビトゥスといったものを含めるという理論が広く受け入れられているようだ。家にグランドピアノや美術作品、岩波文庫ちくま学芸文庫がたくさんある家庭が、家にテレビや自己啓発本、ファッション誌しかない家庭より豊かで望ましいとは思わないが。子供の学歴と文化資本にはまあ相関くらいはあるのだろう。

日本は文化的に平等な国だと言われることがある。貴族文化が残る国や途上国に比べればそうかもしれないが、やはり「住んでる世界が違う」と感じるような人はいるものだし、家庭差、性差なんかもある(女性は男性よりハイカルチャー志向が強く、婚姻を通じてそれを経済的資本に変換するらしい)

文化の権力―反射するブルデュー

文化の権力―反射するブルデュー

 

貴賎をつけたくない。自分が"大衆側"であるがゆえにバカにされたくないからだろうか。確かに私から見ても「低俗だな」と感じる文化もある。(恋愛観察バラエティとか…)まあでも私は法律的にグレーであるゲーム実況を毎日見て、実況者のしょーもない下ネタでゲラゲラ笑っているような程度の人間だ。どんな文化も、それを好む人も、バカにはできない。純文学は読んでも面白くないから大衆小説を読むし、クラシック音楽はBGMにすることはあれど好きな音楽として挙げることはない。美術なんて何もわからない。ハイカルチャーにしてもポップカルチャーにしても目的は娯楽であり、満足を得られれば社交のきっかけになればそれでいいのではないだろうか。なぜ知的かどうか、伝統があるかどうかなどの価値基準を持ち込む必要があるのだろうか。

 

2.  テンプレート

エンタメにはテンプレ(あるある)がつきものだ。評価された名作を真似る後続が蔓延することでテンプレはできていく。

NHK朝ドラは女性主人公で幼少期が描かれ、必ず結婚し、必ず子育てをし、必ず温かい家庭生活を送る。朝ドラを見る主婦はそういった予定調和を求めている。『家政婦のミタ』で大ヒットを飛ばした脚本家が『純と愛』なる雰囲気の暗い朝ドラを書いた時、朝ドラテンプレに合わなさすぎて平成最低視聴率を叩き出した。

フジの月9は少女漫画原作のような女子高生や女子大生が好みそうな恋愛中心の人生送ってますみたいなのが流される。時代劇なんて全部同じにしか見えない。韓国ドラマは宮廷で女性がドロドロに巻き込まれてるか現代もので恋をして病気になるか留学行くかして別れるのだ。ケータイ小説もすぐに元彼が不治の病で死ぬ。

ジャンプの少年漫画は「友情」「努力」「勝利」の通り、弱かった主人公が修行や冒険を通じて最強になる。仲間はみんな人を疑わない素直な善良な人だし、悪役は現実のように自分なりの正義を持っていたりするわけではなく誰から見ても「悪」な振る舞いをする絶対悪として描かれる。あと少年漫画はパンチラをする。それが青年漫画になるとエログロになる。デスゲームものやタイムリープもの、異能力バトルものは溢れすぎだ。

ラノベでは主人公が俺TUEEEしてみんなからよいしょされてハーレム築く。最近ではなろう系も増えてトラックに轢かれて異世界転生ばっかりしている。海外ファンにまで揶揄される始末だ。とりあえず悪役をいつも宗教団体にするのはやめてほしい。

 

ハルヒけいおん、ユーフォといった系譜の学園萌え日常アニメはキャラや音楽で売って行くし、エヴァ以後のセカイ系はくよくよ悩んでいた主人公の内面が変わるだけで世界の命運を変えてしまう。「僕」と「世界」しかないのか。

 

最近は割と洋画も見るようになった。アメリカ人が地球の危機を救うか、アメリカ人が難事件を解決するか、アメリカ人がカーアクションをして銃をぶっ放すか、アメリカ人が酒とセックスをキメるか、アメリカ人がベタベタな恋愛をするか。思えば日本の恋愛ドラマは大抵最終回かその前で破局し新たな一歩で終わるものが多い。視聴後に幸せになれるものをもっと増やしてもいいと思う。

 

ラノベなどを除く)小説は市場におけるテンプレ作品の割合が比較的小さいように思う。かなり独創的に設定を作り込まれている。何が違うのだろう。作家の我が強いのだろうか。ある程度新規性がないと編集者からgoが出ないのか。

 

テンプレが悪いとは言わない。テンプレ作品であれば安心できる。この朝ドラは、この時代劇は、予定調和で大団円に向かって行くなと分かって安心してみることができる。制作側も、それに乗ることである程度の数字が取れて採算がとれる保証が得られるようなものだ。

自分でweb小説を書こうとしたことが何度かあるが、完全に独創的な作品を作るのは困難を極める。どうしても自分が過去に好きだった作品の影響を受けてしまうし、どうにも既視感のあるキャラクター、既視感のある設定、既視感のあるストーリーをどこかで入れ込んでしまう。

ただ、テンプレ作品はあまり視聴者・読者の地平線を広げてはくれない。見たことのないものを見たい気持ちが少しはあるので、できる限り新規性のあるものの方を好ましいと感じる。

 

 

3.  名作

名作とは何か。難しい。売上額、興行収入が多い作品はなんなのか、クオリティの高さも重要な要素だが、ターゲットの幅広さ、射程、どれだけ多くの層を取り込めるかがもう一つ大きな要素になると思う。クオリティとしてあまり高くなく、しょーもない作品だとしても老若男女楽しめれば一部のマニアに大受けする作品より売り上げは大きくなる。

ハリーポッター』を考えてみよう。私はマニアといっていいほどハリーポッター漬けの幼少期を送ったし、今でも大ファンであるが、あの作品は背後に示唆に富んだ主張のある知的に文化的に"優れた”作品だ、なんてことは断じてない。ローリングが電車の中で適当に思いついて適当に書いた作品だ(褒めてる)。社会現象になった最大の原因はターゲット層の広さにあるだろう。魔法やファンタジーが好きな子供はもちろん、アクションが好きな人も、可愛らしさや人間模様のエモに惹かれる人も取り込めた。

評価の高低は、評価者の属性にも大きく影響される。アニメの評価サイトを見ていると、日常系や頭を使わない作品が軒並み高評価で、私がよく見るような込み入った作品はあまり評価が高くなかったりする。filmarksなんかの映画の評価は、おそらく利用者のマジョリティが洋画好き女子に偏っているので日本アニメ映画の評価が不当に低く感じることが多い。

エモを感じる作品を名作とする人もいる。泣けた作品を名作とする人もいる。売れた作品を名作とする人もいる。映画音楽やアニソンといった音楽面、演技面、アニメだと作画を重視する人なんかもいる。私にとっての名作は、「その作品がどれだけ私に影響を与えたか、どれだけ新たな視座を与えてくれたか」と言えるかもしれない。

評価といえば、作品自体や、その先行作品群についての深い知識を前提とした評論なんかがよくある。そういう"通”が評価すれば名作かというと、そうでもないと思う。

結局は個々人がその時点の感性でどう感じるかだ。当たり前の結論ではあるけれど。15歳の頃好きだった作品に今では低い評価をすることはままあるし、歳をとって真価がわかる作品なんてのもたくさんあるだろう。15歳の自分が名作だと感じた作品について30歳の自分が駄作だと思うようになったとしても、15歳の自分にとって確かに名作であったという事実は無くならない。

サイトなどで高評価されてみんなに褒めちぎられてるけど自分には全然刺さらなかった、なんて体験は誰しもあると思う。私の場合は、アニメだと『シュタゲ』『まどマギ』『ハルヒ』など、映画だと『天気の子』『カメラを止めるな!』『インターステラー』などでこの経験をした。こういう時、正直「自分の感覚がおかしいんじゃないか」と不安になったりする。ただ、評価サイトの点数の高さは、自分に刺さる確率が高いだけとも言える。刺さらない確率も一定程度ある。評価が高い作品に自分も高く評価することも多くあるだろう。名作かどうかは自分の評価なので、他人の評価は作品を選ぶ際の参考程度にしたい。

 

4.  歌は世につれ、世は歌につれ

高2のころ、卒業論文をかくという必修授業があった。空想科学読本のようなことをしている人もいたし、建築について優れた研究をしている人もいたし、ファッションの研究をしている女子なんかもいた。「独裁が世界史上でいかに優れていたか」等の高校生にしては本格的な研究をしている人もいた。私はというと、誰が何の研究をしたか貼り出されるので、ガチ学術研究をすると恥ずかしいなどと思って「戦後流行歌と社会の変遷」みたいな研究をした気がする。「歌は世につれ世は歌につれ」というが、本当に「世は歌につれ」るのかを、時代ごとに売れたJ-POPの歌詞のテキストマイニングを通じて好まれたものの傾向と時代背景との関連を調べる、みたいなことをした。ベトナム戦争の頃は反戦の気風が広がってロックやカウンターカルチャー的な反骨的なものが増えたみたいな適当なことを書いた気がする。社会学とは導きたい結論に導くための証拠を集めてこじつけるものなんだな、と誤った印象をその時抱いてしまった。もっと刑事政策や法哲学のかっちりしたものをやれば法学部推薦入試等にも使えただろうに。

音楽はもちろんだが、ドラマや小説、映画の現実世界に与える影響はとても大きい。お見合い結婚が当たり前だった時代から自由恋愛の時代にシフトしたのは明らかにエンタメで自由恋愛が推奨され続け、みんながそれに憧れ、自分でもその物語を体現しようと思った人が多いからだろう。ロマンティック・ラブ・イデオロギーというやつだ。

時代の変化で、否応無く作品の方も変化していく。

近年ではPC(ポリコレ)が重要視される。海外ドラマには必ず白人と黒人が出演し、障害者やセクシャルマイノリティも主要人物に加えられたりする。諸々の運動が広がり、差別や抑圧に厳しい目が向けられるようになったためだ。日本でも、2019年頭に『ちょうどいいブスのススメ』にルッキズムの強化などと批判が殺到したのが記憶に新しい。

昔はもっと"おおらか”だった、とはテレビでよく言われる。上半身裸の女性も平気でテレビに出ていたし、今では放送禁止用語になっている差別表現なんか無数に使われていた。それを古き良きと呼ぶか、前時代的と呼ぶかは自由だが、窮屈になって失われたものもある一方で減らされた不幸もあるのだろう。

AIやシンギュラリティが取りざたされるようになってから、そういう近未来SFも増えた。逆にSFの影響を受けてか、「汎用AIが人間に加害行為に及ぶようにならないか」なんて大真面目に議論している人もいたりする。

余談だが、「こういう潮流だからこういう作品が〜」とお気持ち表明するのは私もするし何も思わないが、「こういう精神性が透けて見えるこの作品を好むような人は〜」みたいな言説には強い反感を覚える。ある作品を好む人といっても、その作品のストーリーが好きな人、演出が好きな人、音楽が好きな人、様々である。テキストやストーリーを分析すれば学問っぽい俎上に乗せやすいのは確かだが、精神性もへったくれもなく何も考えずエンタメを楽しむ人もいるはずだ。趣向から個人の人格を推して測るのは難しいものだ。

 

5.  現実とフィクションの境目

ロマンティック・ラブ・イデオロギーの話でも取り上げたが、現実とフィクションの境目は曖昧だ。宗教とは、フィクションで現実を物語り、無意味で目的のない生に目的や死後への希望を与えたものだ。理由を理解しにくい社会規範に「神がこう言ったから」と 理由あるルールを与えたのだ。堀江貴文や落合陽一のような"意識高い系”が好むイデオローグも、上野千鶴子のようなフェミニズム界隈のイデオローグも、界隈に物語を与えている。

宗教は音楽をかけて香を焚いて陶酔させて人を物語に引き込んでいく。映画もドラマも音楽で人を引き込む。聴覚と嗅覚を満たせば人間は物語に没頭できる。現実で恋愛するときも、プロポーズなりセックスなり物語をやりたい時はムードのいい音楽とアロマとともにやったほうがいい。

文章とは紙とインクで作った記号の羅列であり、音楽とは空気の振動であり、映像が映し出される画面は液晶に光の組み合わせが映し出されているだけだ。人間はタンパク質でできた集合、原子でできた物質でしかないし、感情も記憶も思考も物質的に説明できる神経伝達の産物だ。

それらに意味を与え、解釈し、物語として志向性を与え、渇望し欲望して活動していくのが人間だと私は思う。

現実で自分を主人公とした物語にドリブンしてもいいし、現実を適当にやりながらいろんな物語にドリブンしてもいい。人生を楽しむ秘訣は物語を楽しむことだ。

 

 

「小説家になろう」おすすめ小説7選

「なろう」について

小説家になろう(「小説を読もう!」)

https://yomou.syosetu.com/

総合累計ランキング

https://yomou.syosetu.com/rank/list/type/total_total/

小説家になろう」は日本最大の小説投稿サイトで、「カクヨム」などの他サイトの追従を許さない圧倒的シェアを誇るプラットフォームです。ゼロ年代に女子高生の間でケータイ小説が流行し、素人作家が書いたweb小説が書籍化、『赤い糸』などが映像化される流れがありました。なろう小説も、2014年ごろから『オーバーロード』『Re:ゼロから始める異世界生活』『この素晴らしい世界に祝福を!』など多数の素人作家の作品が書籍化・アニメ化され人気を博し、2019年現在なろう発のアニメ化作品は20近くに登ります。他のライトノベルとは毛色が異なりますが、『君の膵臓を食べたい』もなろう発で書籍化・アニメ化・実写映画化され大人気となりました。

しかし、いつの日からか「なろう系」と呼ばれる作品が蔓延し、一部読者に毛嫌いされてきたのも事実です。(かく言う私も典型的「なろう系」はあまり好みません)

「なろう系」を知らない方にもわかるよう説明すると、「引きこもり・ニートだった冴えない主人公がトラックに轢かれるなどして突然死して、前世の現代日本知識を持って中世西欧風の剣と魔法の世界に転生し(もしくはVRMMOのゲームの世界に入り込み)RPGのようなスキルやレベルのある世界で勇者や魔王などとして無双し、場合によってはハーレムを築きみんなから尊敬を集める…」といった作品です。この「なろうテンプレ」と呼ばれる設定をなぞる作品が山のように投稿され、総合ランキング上位を埋め尽くして行ったのです。

約70万作品がなろうには投稿されていますが、除外ワードに「異世界 転生 勇者 Sランク チート ハーレム 令嬢 魔王 vrmmo ダンジョン スキル 冒険者 最強 最弱」と入力するだけで約50万作品まで激減します。累計総合ランキング上位50位の作品に至ってはほぼ全て除外されてしまいます。テンプレに乗ってもうまく設定を料理できている作品は面白いのですが、他人の発想に寄りかかっただけの駄作が多いことも事実です。

ただまあ、時代劇や吉本新喜劇のように、次の展開がわかってても楽しめるのが日本人です。私も、文章力があまりに拙かったりハーレム描写が男性中心すぎると不快感があってやめてしまいますが、たいていの作品は割り切って読めるようになりました。

今回は、人気作品からマイナーなものまで100作品近く読んできた私が(非テンプレ系、ラノベ色薄めの作品を中心に)おすすめ5作品を紹介したいと思います。

 

1.薬屋のひとりごと

https://ncode.syosetu.com/n9636x/

女性作家・女性主人公の中華宮廷風推理(?)小説。どちらかと言うと女性向け。非テンプレ系ではもっとも総合ポイントの高い作品です。

無愛想で毒を食らうのが大好きな研究者気質の薬師、猫猫(マオマオ)が後宮、宮廷で様々な事件に巻き込まれながら化学知識を駆使して難事件を解決し、個性も我も気も強い宮廷・後宮の人々から次第に信頼を得ていく…といったような話です。作者様の中国文化や歴史・地理への造詣が深く、文章も非常に読みやすく洗練されています。何と言っても魅力は軽快な掛け合いで、読んでいて何度もクスリと笑わせられます(薬だけに)(おっ上手いこと言った)※婉曲的な下ネタ多めなので苦手な方は注意です。

 

 

2.Re:ゼロから始める異世界生活

https://ncode.syosetu.com/n2267be/

男性作家・男性主人公・完全に男性向け。私がなろうやライトノベルを読み始めたきっかけであり、アニメにのめり込んだきっかけでもある作品です。2016年にアニメが大ヒットし、現在も劇場版の公開や2期制作が続いています。(2018年に友人と劇場版ova見に行ったら中高生オタク男子がわんさかいて少し恥ずかしかったです笑 対象年齢はそのくらいかな?)

いわゆるなろうテンプレの枠に入り、現代日本から飛ばされた主人公が異世界で女の子に囲まれる萌え要素も3割ほどはある作品ですが、テンプレ作品の中では異端とされます。主人公はなんら特別な才能を持たず、ただ、死んだらやり直す「死に戻り」能力だけを与えられ、何度も何度も何度も自分も仲間も無残に殺されて精神がズタボロになっては立ち上がっていくシリアス色の強い作品です。この作品の魅力はミステリーのような散りばめられた謎と伏線の回収が見事な点、そして魅力的すぎるキャラクター達とその軽快な掛け合いに尽きると思います。日本でも海外でもあらゆる作品に登場する「ループもの」の最高傑作だと(個人的に勝手に)思っています。

アニメよりweb版、書籍版の方が面白いのでアニメしか見ていない方にも是非読んで欲しいです。(作者様曰く全10章構想らしいですが7年半経った今もまだ6章の途中…どんどん対象年齢が合わなくなっていくので早く完結させて欲しい…)

 

 

3. 鬼人幻燈抄

https://ncode.syosetu.com/n4442da/

男性作家・男性主人公・男女両方にオススメ。

なろうファンの中で「なろうのオアシス」とも呼ばれるこの作品。他の小説投稿サイトにも投稿されているようです。

主人公は鬼斬りを生業にしていたが、妹が鬼となる…ここまで聞けば2019年にアニメが大流行した『鬼滅の刃』を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、『鬼滅の刃』は2016年連載開始、鬼人幻燈抄は2015年連載開始なのでパクリではありませんよ。それに、少し似ていると感じるのは序章くらいで、テーマも雰囲気も全く異なる作品です。

主人公甚夜(甚太)が鬼に身を落とし1000年の寿命を得ながらも鬼斬りとして江戸→明治→大正→昭和→平成の世を生き抜いていく壮大な物語。使われる言葉・和語がとても繊細で美しく、また人の心を揺さぶる表現が圧巻の作品です。1000年の寿命、鬼でありながら人の世に生きるということで、別れはつきものなのですが、一つ一つの出会いと別れの描き方、江戸や明治からの繋がりが平成に繋がっていくなどの感動…僕の拙い言葉では表しきれません。誰にでも胸を張ってオススメできる作品です。

私はあまり和風ファンタジーや時代物、歴史ものを読まないのですが、この作品の江戸や明治、大正昭和の描き方のレトロなエモさに惹かれて、他の時代物にも手を出してみようかなと思いました。

 

www.youtube.com

 

鬼人幻燈抄 葛野編 水泡の日々

鬼人幻燈抄 葛野編 水泡の日々

  • 作者:中西 モトオ
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2019/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

4.ラピスの心臓

 https://ncode.syosetu.com/n4006r/

男性作家・男性主人公・どちらかといえば男性向け。硬派なハイファンタジー。なろうらしく俺tueeeやハーレム要素はあるものの、他のなろう作品とは一線を画した作風です。話数にして80話程度しか投稿されていませんが、合計140万字以上の大作です。他のなろう小説だと140万字というと400〜500話くらいになっているので、1話が通常の5〜6倍あると思っていいです。

シュオウは、動体視力がいい以外にこれといって特殊な能力も持たない少年。孤児だったところを拾われ、狂鬼と呼ばれる化け物のひしめく灰色の森で育てられたシュオウは12年後旅に出る。

主人公はとても強いのですが、あくまで人の域を出ない、身体能力を生かしたバトルになるのでリアリティがあります。並みいる強者が狂鬼を前にみな逃げたり屠られていく様子も他の作品には見られない厳しい世界を感じられます。

作者様が仕事の合間に書いていらっしゃるようで、10年近くゆっくり連載している作品ではありますが、毎話の満足度が高くいつまでも待つ気になれる良作です。

 

ラピスの心臓 1 宝玉の試練

ラピスの心臓 1 宝玉の試練

 

 

5.Rotted-S

https://ncode.syosetu.com/n0783bj/

女性作家・男性主人公・どちらかといえば女性向け(?)(こそばゆい恋愛描写が多いので) 比較的短めの完結済み作品で1日2日あれば読破できると思います。

正統派ハイファンタジー。藤村由紀さんの小説は情景描写も丁寧で文章力がしっかりしており、ライトノベルというよりは普通の小説に近い文体です。

とある辺境の村に住むただの平凡な少年だったアージェが、いなくなった妹を助けるために呪いのような異能を使い、そしてその異能を拭うために旅に出る。旅の中で様々な人に出会い、少年はやがて一人の少女の騎士へと成長していく…

同作家さんの『Unnamed Memory』も壮大な抒情詩のような恋愛小説で、書籍化されているおすすめ作品です。

 

6.ノームの終わりなき道程

https://ncode.syosetu.com/n9560cu/

男性主人公・やや男性向け。剣と魔法の世界の正統派ハイファンタジー。この作品の前日譚にあたり、書籍化作品である『ノームの終わりなき洞穴』(https://ncode.syosetu.com/n1901bi/)を紹介作品にしようかと迷いましたが、こちらの方がダンジョンものでテンプレ色が強い上、後半救いのないラストで終わる悲劇であるため、より一般向けにおすすめできる『ノームの終わりなき道程』の方を紹介することにしました。(「洞穴」を読まず「道程」から入っても楽しめます)

一見冷淡にも見えるほど常に合理的で冷静な一級術師クレストフ。若くして実力も富も名声も地位も手に入れながらも満たされなさを抱える日々の中、一人の少女に出会い、冒険をしながら少しずつ過去の後悔と向き合い、本当に大切なものが何か探っていく物語。

現在連載中の4章からは『洞穴』で潜ったダンジョンに再び入っているのでテンプレ色が今後強くなっていくかと思われます。

 

ノームの終わりなき洞穴

ノームの終わりなき洞穴

 

 

 

 

7.リライト・ライト・ラスト・トライ

https://ncode.syosetu.com/n3326cw/

女性作家・女性主人公・男女どちらでも。異世界ループものの中でも異彩を放つこの作品。中華風のような、西洋風のような世界で、主人公は神獣の戯れで何度もやり直しをさせられる。ただし、物語中で描かれるのは何度も何度もやり直してきて、それでもうまくいかなくて、これで最後にすると決めたラスト一回のストーリーです。

彼女がやり直すのは、自分が現代日本に帰るためでも、世界を救うためでもなく、ただ一人の男を救うため…

かなりシリアスで濃密な物語ですが、比較的短いので1日2日あれば読破できる分量です。はな さんの作品は『天の崖、地の崖』などもおすすめです。

おすすめアニメ5選!

肌寒い季節になってきました。

 

今日はおすすめのアニメを紹介します。

高校2年まで、サザエさんドラえもんとコナンとクレヨンしんちゃんジブリ以外ほとんどのアニメを見ずに過ごしていました。

そんな私も5年ほど前から、ドラマや実写映画ではできない豊かな表現に惹かれ、いつしかアニメーションの世界にのめり込んで行きました。今では日本に生まれて一番良かったことは、何と言っても漫画アニメの広大で深遠な世界に気軽に浸れることだと思っています。途中で見るのをやめたものを含めれば今まで200作品以上は見ているはずです。

最近では一通り"名作”と呼ばれるものは見てしまった、自分の趣向が3~4年前とは変わってきてしまった、などのことからアニメ・漫画から洋画の方にシフトチェンジを図っていますが、それでもおすすめしたい作品はたくさんあるので、自分の集大成としても特におすすめできる5作品を紹介したいと思います。

好きな系統はシリアス、少年漫画原作、深夜鬱アニメ、SFが中心となっています(日常系などはありません、ごめんなさい)

 

 

1.新世紀エヴァンゲリオン /ヱヴァンゲリヲン 新劇場版 

 

平成以降の日本アニメの原点にして頂点。エヴァ抜きに日本のアニメを語るのはWWⅡなしに世界を語るようなものです(大げさ)

高校の頃、男子も女子も周囲にエヴァファンはたくさんいましたが僕は見向きもしませんでした。「なんかロボットみたいなやつが戦うだけでしょ?」と適当なことを言っては友人を悲しませていました。(あの頃の自分を殴り飛ばしてドラム缶に詰めて東京湾に沈めてやりたい…)

そんな私がエヴァを初めて観たのは大学1年の時。当時鬱屈した日々を送り精神的にも未熟だった私は、悩み傷つき、逃げ出し、自分を責める、そんな情けなくてかっこ悪いシンジくんに言いようのない共感を覚えました。

エヴァはロボットアニメと言うよりも、青少年の精神疾患アニメだ」と僕はよく友人に言います。回避性パーソナリティ障害やアダルトチルドレンASD、BPDをモデルにしたんじゃないかなんて話もよく聞かれます。新劇場版ではその傾向は比較的薄いですが(作画が綺麗なかっこいいアクション映画感の強い新劇場版も好きです)、テレビアニメ版は青少年や大人たちの心の傷、葛藤、精神世界が精緻に描写してあります。ラスト2話(第弍拾伍話、最終話)なんかは現実の描写はなく精神世界の描写のみで(単に制作が間に合わなかっただけという説もあるようで)賛否あるようですが私にとってはあの最終2話があってこそのエヴァだと思っています。

エヴァ以降の「セカイ系」(主人公の精神と身近な対人関係が世界の命運を左右するような物語)と呼ばれる作品は2019年現在でも根強い人気を博しています。私も色々なアニメを観ていて「あ〜これエヴァの影響強いな〜」と感じた作品は少なくとも10以上あります。皆さんもそう感じた経験があるのではないでしょうか。

魅力溢れるキャラクター、考えさせられるストーリー、心踊る戦闘シーンと豪華声優陣の白熱の演技、『残酷な天使のテーゼ』『魂のルフラン』をはじめとした主題歌・挿入歌…どこをとっても、何十回観ても常に感動を味わえる作品です。

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=WLHNOS80_W8

そして、新劇場版 完結編 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

は来年2020年6月公開予定です!

「この次も、サービス、サービス♪」

 

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出典:「エヴァンゲリオン」公式サイト

 

 

2.輪るピングドラム

少女革命ウテナ』『劇場版美少女戦士セーラームーンR』 『ユリ熊嵐』、2019年夏クールにノイタミナで放送された『さらざんまい』。幾原邦彦監督の作品はいずれも甲乙つけがたい傑作ですが、やはりピンドラは私の中でエヴァと並び不動のトップ2です。

以前にも本ブログで記事を書きましたが、もう一度書かせてください。

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高倉陽毬、晶馬、冠馬の身を寄せ合って仲睦まじく暮らす家族とその周囲の人々の愛の物語。前半はコミカルに進んでいきますが、後半に向かうほど重く暗くなっていきます。それでも可愛らしく魅力的なキャラクター、示唆に富んだセリフの一つ一つと趣向を凝らした演出で常に視聴者を楽しませてくれるのが幾原邦彦

幸せを噛みしめる日常の中突然倒れた陽毬の運命とは?家族愛とは、異性愛とは、どうあるべきか?地下鉄テロ?高倉きょうだいの罪と罰とは?ピングドラムとはなんなのか?

大人向けアニメであり、笑って泣ける男女問わず楽しめる作品だと思います。(どちらかというとやや女性向きかな?)隠れた名作だと思うのでまだ観たことがない方は是非。

生存戦略、しましょうか」

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出典:「輪るピングドラム」公式サイト

 

 

 

3.PSYCHO-PASS (1期)

 1.2.で紹介したエヴァ、ピンドラは僕らの世代(2019年現在22歳)の5~10歳くらい上がストライク世代ですが、サイコパスは僕らの世代がストライク世代でしょう。大学でもアニメが好きな友人はほとんどサイコパスは観たことがあるようです。EGOISTや凛として時雨の主題歌がこんなにぴったりな作品はサイコパスを置いて他にないでしょう。話もそんなに難しくなくわかりやすく、テンポがいい近未来ディストピアの刑事ものです。(簡単に言えば『攻殻機動隊』とかと同じサイバーパンクものです。 )

私が特に好きなのは狡噛慎也槙島聖護ら魅力的なキャラクターが登場する、虚淵玄脚本の1期です。(2019年11月現在3期放送中です!)

 

うだうだ説明するよりノイタミナ公式のPV(2012年当時のもの)貼っておきますね

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人々の心理状態、精神状態がPSYCHO-PASSと言う数値で計測されるようになった2112年の日本。PSYCHO-PASSその中でも犯罪に関わるものは犯罪係数と呼ばれ、これが一定値以上だと罪を犯していなくとも潜在犯として裁かれる世界。

主人公常守朱が最後に知る世界の壮絶な暗部とは…

とにかくアツい作品なので一度見始めたら一気に最後まで見てしまうこと間違いなしです。

「社会が必ず正しいわけじゃない。だからこそ私たちは正しく生きなければならない。」

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4.のだめカンタービレ シリーズ

のだめカンタービレ VOL.1 (初回限定生産) [DVD]

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 ここ数年、ピアノを題材にした作品は小説、ドラマ、邦画、アニメと媒体を問わず数多く出ています。『四月は君の嘘』『ピアノの森』『坂道のアポロン』『蜜蜂と遠雷』etc…どれも名作です。それでも私はのだめが金字塔だと思っています。アニメも実写版も好きです。常に笑えるラブコメとしての完成度の高さ、癖の強すぎる一人一人のキャラクター、夢に向かってひたむきに努力する主人公たちの姿。モーツァルトの二台のピアノのためのソナタを聞くと条件反射で鳥肌が立つと共にのだめのとんがった口が頭に浮かぶ体になってしまいました。

「先輩の背中…飛びつきたくてドキドキ これってフォーリンラブですか?」

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5.ヴァイオレット・エヴァーガーデン

 ここまで5年以上前の作品ばかり紹介してきたので、最後に最近の作品で普段あまりアニメを見ない方にもおすすめのものを。

先日大変痛ましい火災のあった京都アニメーションヴァイオレット・エヴァーガーデンです。

この作品の特筆すべき点は二つ。美しすぎる作画。毎話毎話これでもかと言うくらいに泣かせてくるストーリー。

どのくらい作画がすごいかと言うとこの動画見て見てください笑

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普段「泣けるアニメ」みたいなのでもなかなか泣かない私ですが、ヴァイオレットエヴァーガーデンは泣いてしまいます。先日劇場で外伝を見に行った時も火災に負けない素晴らしい出来で感動してしまいました。

ファンタジー色がほとんどないため、普段あまりアニメを見ない人が見ても楽しめるんじゃないかなと思います。

ヴァイオレットエヴァーガーデン 外伝 期間延長して絶賛上映中

劇場版 ヴァイオレットエヴァーガーデン 製作中とのことです!

「『愛してる』を、知りたいのです」

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停滞

モチベーション

動物は動くからこそ動物という。動物は、ヒトは、僕らは、なぜ動くのか。「本能」という言葉は思考停止の産物だ。マズローを持ち出す人間は学問をしていない人間だから信用してはいけない。ビジネス界が自己実現をしろと生産を要請する文脈で持ち出してくるだけだ。大学1年で古典的条件付けとオペラント条件付けを習う。ほとんど忘れてしまった。与えられる刺激に対する応答。報酬を得て正の強化をしていく。そんなことだったか。古典的な行動分析だ。報酬系。内発的動機付け。外発的動機付け。刷り込み。生理的な動機付けと、好奇心のような内発的なものと。賞罰のような外発的なものと。

 

何が報酬になるのか。動物実験だとエサだろう。ヒトだと承認や収入だろう。何が生得的欲求で何が学習の産物なのか。何がドミナントイデオロギーから内面化された欲求なのか。僕らは本当に承認されたいのか。僕らは本当に性欲なんて持っているのだろうか。僕らは本当に愛されることを欲望しているのか。

 

生物が生存して生殖してきたのは、報酬系が働いてきたからだ。ADHD児は報酬系の機能低下を起こしている。ADHDにはドーパミン活性をしろ。再取り込みを阻害しろ。報酬の強化が低下し報酬を魅力的と感じる効果が持続しない,遅れて得られる報酬を待つことが出来ない。先送り癖。

 

うつの患者も報酬系がうまく働いていない。行動賦活システムの低下。報酬に対する感受性が弱まっている。

 

元気があればなんでもできる。元気がなければ何にもできない。それだけのこと。

 

停滞と無気力

アパシーとの付き合いは4年にもなる。

治療への動機付けがない。服薬への動機付けがない。通院も服薬も続かない。家から出られなくて、ご飯も食べられなくて困ってるのに病院に行けるわけがないだろう。働け。俺の報酬系

ASD特性が社会的に刷り込まれた幸福への順応を困難にしている。いい会社についたから幸福になれると思えない。大学を卒業したら大学を中退するより幸福になると思えない。思えるのかもしれないが、それが遅れてやってくる報酬だから反応できていないのか。家からでろ。引きこもり。

 

クズ。引きこもり。ニート。誰も僕をそう罵ることはしない。僕の周りの人は優しい。罵られたところで改善しないのをわかってくれているのか。

人々はフリーライダーに怨念をぶつける。こんなに私たちは頑張っているのに働いていないなんて許せない。生活保護を受給するなんて許せない。

精神障害者手帳を取得することを主治医から勧められたこともあったが断った。それを言い訳に、水戸黄門の紋所のように振りかざすようになったら僕は何か大事なものを失うような気がする。

今の僕は勉強も何もしていない。単位も取得していない。1Aも、一度目の3sも、2度目の3sも、単位を取得していない。1度目の3Aも休学していたから空白だ。僕の大学生活には現在のところ外形的に空白になっている期間が2年分ある。大学も中退を覚悟していたが、最近は少しやりたいかもしれない職業が見つかりそうで、少し前よりは卒業に対するモチベがある。2度目の3Aはテストを受けられるだろうか。家から出られるだろうか。大学に行けるだろうか。

 

進路

法曹になるのはやめました。高校からの夢だったはずだけど。うつになったら自明に無理だ。

なんの職業でもいいから、僕のような人間を雇ってくれるところに。地方公務員上級職は意外と難しい。無理だ。ひと口に民間と言っても、僕に合うところもあるはずだ。スケジュール管理能力もものの管理もゴミで全てに対して無気力でたまに家から出られない僕でもできる仕事。高卒になるのだろうか。避けられるものならば避けたい。あと半年頑張って単位取得できなかったらまた休学を挟むかもしれない。

とある省庁でない国家公務員をやろうかと思っている。筆記試験はそんなに難しくない。倍率は高いから僕みたいな留年雑魚が入る余地があるのかは知らないけど。法律の勉強をしてたことを無駄にしたくない。子供と関わりたい。行政職には興味がない。人と一対一で関わる現場にいたい。

単なる甘っちょろい考えだ。夢とすら呼べない。まずは毎日家から出ること。睡眠を安定させること。

もうこれができなくなって4年目だ。

休学していた間に、強迫観念とおさらばして、精神的自傷のような、感情障害のようなものはなくなったと思う。いいことだ。親や医者は「改善に向かってるよ」というけど僕はそうは思えない。ホルモンとか身体的なところが変わったわけではなく思想が変わっただけだ。

この世に義務なんてない。しなきゃいけないことなんてない。責任なんて存在しない。自由意志なんて存在しない。だから自分を責める理由なんてない。

ぶっ飛んだ思想だ。人には理解されない。

でもこれが今の僕だ。

安定は停滞だ。停滞は安定だ。

今日もベッドから動かなかった。